子育ての話

15年程前から子育て欲がある私だが、子育て欲と並行して、他にも色々な願望があった。
例えば昔からダンスは1度でいいから習いたいと思っていたし、バク転をしてみたい願望もあった。音楽会でとなりのトトロの曲を木琴で叩きたいといった割と手の届きそうな願望もあれば、芸能界デビューして島田紳助と喋ったり、あわよくばハリウッドに進出して、ミュージカル映画で踊ってみたいといったアメリカンドリームまで持っていた。
中学生くらいまでは、どれもこれも努力次第では叶うと思っていたが、なんの努力もしてない上にそんな才能も運も無い自分の姿を前して、これは多分私には叶いそうもないな、と現実に気付くようになった。
それに気付いた時はひどく落ち込んだが、ふと、これらを将来、自分の子供にやらせたらどうか!と思うようになった。
自分が今まで出来なかったことやしなかったことを、自分の子供に託すのだ。具体的に説明すると、小さい頃、ダンスを習いたいことを訴えても頑なにダンスだけは習わせてくれなかったうちの親を見習って、私の子供にはダンスを習わせるのだ。そして、1歳か2歳で芸能事務所に所属させ、物心がつく前から演技や歌、ダンスを習得させて、いつでもハリウッドからお声がかかってもいい状態にする。
また、娘は物心がつく前から歌やダンスを習得しているので、音楽のセンスは抜群である。なので、小学校の音楽会では、オーディションで木琴を志望、難なく合格し、見事となりのトトロを木琴で演奏することになる。
娘が中学に上がる頃には、演技も歌もダンスも他の生徒よりずば抜けているので、とうとう法律相談所に出演することになるのだ。そこで、島田紳助との対談が叶い、しかもその日は嵐が出演したため、番組は高視聴率であった。そのおかげで全日本国民が私の娘のハイスペックさに注目し、娘は一躍時の人となる。
さらにさらに、そのことがきっかけで映画デビューを果たし、あのニノのヒロイン役を演じることで、その演技力が一気に注目を浴びる。そして遂に、あのハリウッドからお声がかかるのだ。
何もかも完璧なストーリーである。娘を1歳頃に芸能事務所に所属させておけば、気づけば中学生でハリウッドデビューしてくれているので、私はなんの努力もせず、自分の夢があっさり叶えることができるのだ。どれもこれも、嵐のおかげある。
そう思って胸を躍らせていたある日、島田紳助のテレビを観ていると、あるコメンテーターがこんなことを言った。
『子育ては、親のリベンジになったらダメだと思う。』
この発言に、島田紳助その他出演者は猛烈に共感していたが、高校生の私には全くもってさっぱりであった。
親のリベンジ??なぜリベンジになってはいけないのか。私が叶えたかった夢を、娘に託すことがダメな理由を是非教えていただきたかった。
しかし、番組ではそれ以降その話をすることはなく、なぜ親のリベンジがいけないのか、分からないまま青春時代を送ることになった。
それでも子供に夢を託したい願望は消えず、そのまま大学生へ突入した。大学生活は思った以上に充実しており、部活や勉強やバイトの毎日で、そんな願望を持っていたことすら忘れるくらい忙しい日々を送っていた。
そんなある日、とある人のブログを読んだことがきっかけで、忘れかけていた青春時代の悩みが見事に解決した。子供に自分の夢を託すということは、親がやって欲しいことをやらせる、それはつまり、親の人生になってしまうのだ。
子供は血が繋がっているとはいえ、親と違う人間である。親がいくら芸能界に興味があろうと、その子供も興味を持つとは限らない。もし子供が芸能界ではなく、漫画の世界に興味があって、将来漫画家を志望していたとすれば、親がその夢を奪いかねない。子供がひたすら親の言い成りになってしまえば、自立はおろか、子供は、たった一度きりの自分の人生を自分の好きなように生きることができないのだ。
こんな単純でシンプルで大切なことに、高校の頃の自分は気付くことが出来なかったし、もし誰かに教えてもらえたとしても、恐らくあの頃の自分には理解出来ないだろう。大学生になって、勉強や部活を通して様々な人と触れ合い、様々な出来事を経験したことで、私自身が人間として成長したから、この事にようやく気付けたのだ。芸能界には入れなかったし、未だにバク転は出来ないけど、私は確実に成長したし、自分の好きな人生を歩めている。今となっては、子供には決して自分の夢を託したりはせず、好きなことをめいいっぱいさせてあげれるような子育てをしたいと思っている。