女子校の怖い話

中高一貫の学校に通っていた私だが、大人になった今、やはり女子だけの世界は陰湿で怖かったな、と思うところがある。もう15年以上前の話ではあるが、いかに陰湿だったか、一部を抜粋して書いてみようと思う。

 

私が通っていた学校を簡単に説明すると、とあるカトリック教会が営む「自称お嬢様学校」だった。校長はシスターだったし、毎日のお祈りはもちろん、ミサなども定期的におこなっていた。

また、1学年40人くらいしかいない少人数制なのも特徴の一つであった。一応2クラスに分かれていたものの、中高6年間でメンバーが変わる事もほとんどないため、大きな1クラスのような感覚だった。

 

共学の小学校に通っていた私にとって、男子がいない女子校は、まさに新鮮だった。小学校の時は、男子は授業中にも関わらず猿のようにうるさかったし、その騒がしさに釣られるように、女子も活発な子が多かった。それに比べ、自称お嬢様学校の女子は皆静かだった。授業中に喋る人はおろか、手をあげて積極的に発言する人すら誰もおらず、暗い印象にすら感じた。

 

慣れない空間に戸惑う毎日だったが、その日はすぐにやってきた。

 

緊急ホームルームと称して、全クラス40人が視聴覚室に集められた。教壇には、先生達が神妙な面持ちで立っている。何事かと不安に思っていると、先生が少しため息を交えてこう言った。

「残念な事に、この学年でいじめが起きました。今朝、北川さんの教科書にこのような落書きがされました。」

そう言って先生は、国語の教科書を取り出すと、それを広げた。その教科書には、表紙と1ページ目を開いたところ、そして裏表紙と裏から1ページ目を開いたところの計4箇所に、マジックペンででかでかと「◯ね」と書かれていた。

入学して数週間。なんて恐ろしいところに来てしまったのだと思った。

元々治安の良い小学校に通っていたので、いじめなんてされた事もなければ見た事もなかった。

なのに、入学して数週間で目の当たりにするなんて。

そもそも出会って数週間の人間に、ここまで酷い事が出来るなんてどうかしていると思いながら、被害者である北川さんに目をやると、彼女は静かに俯いていた。若干丸まった背中は切なく、悲しそうにも見えた。とても可愛くて優しそうな子なのに、こんな目に合うなんて、と哀れに思った。

続けて先生は、いじめがどれだけ悪い事かを1時間かけて説明したあと、犯人は名乗り出るように言い残してホームルームは終わった。

視聴覚室から出ると、北川さんは友人達に慰められながら教室に戻って行った。入学して数週間でいじめが起こったことで、やはりこの女子校は雰囲気も暗くて怖いところだなと改めて思いながら、私も教室へ向かった。

 

数日後、事件は突如終わりを迎えた。犯人はなんと北川さん本人で、全て彼女の自作自演だったのである。

周りに心配されたかったのか、チヤホヤされたかったのか、はたまた思春期特有のアレなのかは知らないが、とにかくまずは、いじめが存在しない事に安堵した。そして、このくだらない茶番に学年全員を巻き込んでおいて、謝罪の一つもなく平気な面して過ごしている北川さんを心底軽蔑した。

その後、本性がバレた北川さんは、神聖なミサの場で、隣の女子に突然暴言を投げかけてその女子を泣かせたり、友人数名を道連れにして学年対抗の球技大会をサボって学年全員に迷惑をかけ、その事を先生に問い詰められた際には、巻き込んだ友人のせいにしたりと、気がつけば頻繁に呼び出しをくらう常連になっていた。可哀想な北川さんだと思っていたのも束の間、公にメンヘラを発動させただけのとんだお騒がせ女であった。

 

また、入学して最初の1ヶ月間、知らない人達と交流を深めるためか、お弁当の時間は、適当に割り振られた6人くらいで机をくっつけて食べなければならなかった。授業中も全く喋らず寝ているだけの暗い生徒たちが集まったところで、当然会話が弾むわけもなく、みんな黙って食べていた。

その日も、私を含め、グループのみんなが黙々と弁当を食らっていた。すると、隣に座っていたカースト上位みたいなデブが、私を指差し、はっきり一言「嫌い」と言った。

それはそれはしっかりとした発言だった。隣にいる本人が、聞き逃そうにも逃せない声量であった。

私は「えっ!?」と思い、顔をあげた。すると周りの女達も、笑いながら「私も嫌い」「私もー」と口々に言い始めた。私は別に嫌われるような事もしていないし、迷惑もかけていない。ただ下を向いて、みんなと同じように黙って弁当を食っていただけじゃないか。

私が何も言い返せずにいると、更に調子に乗った別の女が「しかもこの前、アカネちゃんのこと可愛いとか言ってたよー?」と言った。そしてまた周りの女達が「いや無いでしょ〜w」「アカネちゃんが可愛いとか目おかしいんちゃう?ww」と笑い始めた。

確かに私は数日前、アカネちゃんのことを可愛いと言っていた。優しそうと思っていた北川さんしかり、可愛くないと評判のアカネちゃんしかり、どうやら私は見る目がないらしい。

1000歩譲って、地味で芋臭くて、攻撃しても特に反抗しなそうな私の悪口を言うのは分からなくもない。しかしながら、その場にいないアカネちゃんの悪口まで言う意味が全く分からないし、さすがに「ついでに言う」レベルの度が過ぎている。こうやって関係のない他人まで傷つけるなんて、態度も体もデカい貴様は一体どれだけ根性が腐ってんだと言いたくなったが、初対面のカーストデブに歯向かうほど私は強くなかった。

そしてこの時の私は、悲しいとか傷ついたという感情はなく、出会って1ヶ月で、本人の目の前で嫌いと言い切って周りが笑うこの環境に、ただただ驚き、絶望する事しか出来なかったのである。

 

入学して1ヶ月で、この様な陰湿な出来事に遭遇し、その後もたびたびそういったことがあった。上記でいじめの自作自演があったと記したが、普通にいじめも存在した。主にカースト上位のグループ内だったが、私も仲の良い友達から針を刺される日々を送ったり、聞こえるように悪口を言われたり、シンプルに殴られたりもしたものだ。

しかし、所詮は一学年40人の学校だ。いじめをしたり針を刺したヤツらは、グループどころか学年全員から嫌われて、居場所を無くしていった。

そして中高一貫ではあるが、そいつら含めた6人ほどが中学卒業とともに学校を去っていった。そして高校からは、大変性格の良い人たちが6人ほど入って来たため、学年の治安は格段に上がった。針を刺した女は物理的に学校から消たし、なぜかカーストデブとは、休日に一緒に犬の散歩に行くほど仲良くなった。その散歩中に、カーストデブの愛犬に指を噛まれて血が出たりもしたのだが、やはり犬は飼い主に似るものなのだろうか。

とにもかくにも長かった陰湿な学校生活は、ヤツらの卒業と共に突如終わりを迎えたのである。

 

 

 

静脈麻酔の恐ろしさ

静脈麻酔にて手術を行います、と告げられてから、私の心は常に不安に駆られていた。

産後の股に出来た肉芽を取る手術なので、局所麻酔で済むと軽く考えていたものの、意識の混濁を伴う静脈麻酔だったからである。

静脈麻酔は初めての事で、自分の意思ではなく、他の力によって眠らされる状態が全く想像できなかった。

経験者に聞いてみたところ「麻酔が入って、10、9、8でもう意識なくて、気付いたら終わってた」という何とも恐ろしい答えが返ってきた。

15分以内に寝ますよ、ならまだしも、10秒以内に意識が消失、しかもカウントまでされて強制的に眠らされる事に恐怖を感じた。

なので手術直前までネットで調べ尽くしたのだが、医者界隈でも、意識が消失する派と完全には消失しない派がいるようだった。

つまり、人によるという事で、かかってみなければ分からないと思い、ますます恐怖に駆られた。

 

 

産婦人科なので、分娩室に案内された。ここで手術が行われるようだ。

分娩室でパンツを脱いで前開きのパジャマを着て、点滴を通された状態で1時間くらい待った。

この日は前日から実家に帰っており、夜中の子育てを親に任せたため、日頃の睡眠不足を解消するかのごとく10時間も寝てしまった私は、非常に目が冴えていて全く眠くなかった。全く眠くない状況で、本当に麻酔にかかるのか、更に不安になった。

ようやく看護師が来て、手術台に寝るよう促された。

寝転んで5分くらい経ったところで先生が来て「今日はなるべく会陰切開をしない方向でいきます」とおっしゃられ、「はい」と答えた。

その次に看護師が「では麻酔入れていきますね」と言って注射器を手にした。いよいよである。

私は平然を装いながらも横目で看護師の様子を見ていた。看護師が慣れた手つきで点滴に麻酔を入れ終わったのを見て、覚悟を決めたのだった。

しかし、10時間睡眠の私はしっかり覚醒しているため、本当に麻酔にかかるのかまだ疑心暗鬼である。

すると看護師が「すぐに頭がぼーっとして眠たくなりますよ」と言った。

疑心暗鬼の私は「はい」と返事をしたのだが、「い」の部分で急に喉に熱さを感じ、それと同時に眩暈がした。

眩暈するな〜まずいな〜と思ったが、私は今汽車に乗っているのだから、まずはこの汽車を月まで飛ばさなければならない。

しかし、もうすぐ手術が始まるので、先生と看護師も一緒に乗せ、汽車を月へと飛ばすことにした。

幸い、地球からはかなり離れており、陽気な音楽(桃鉄の決算時の曲をもっと陽気にした感じ)が爆音で流れていて、運行は順調かに思えた。

しかし、いつまで経っても麻酔にかからない。もうすぐ手術が始まるのに、先生たちを待たすわけにはいかない。早く麻酔にかからないと!でも、とりあえず手術を行う月へ行こうと、必死に汽車を運行した。

すると急にたくさんの世界(いやもはや概念というべきか)がぐわんぐわんと私を引き連れていき、この時やっと「あ、今私は麻酔にかかっている」と気付いた。

この世界についてだが、私はほとんど思い出せない。ただ唯一、私の脳は頑張って起きようとしているのに、それを誰かが押さえつけていて無理やり寝かされている、という状況であり、かなり苦しかったという感覚だけ覚えている。

私の脳は、必死に麻酔に抗おうとしていたのだ。

しかし、抗おうとも麻酔は強く、私はいつまで経っても覚醒できなかった。本当に苦しく、辛い世界だった。

いくつもの世界に連れられた私だが、ある時だんだん光が見えてきて、明るい世界に来た。しばらくすると暗い世界になってしまった。

しかし、また明るい世界に連れ戻され、しばらくするとまた暗い世界、という様に、明るい世界と暗い世界を行き来するようになった。

何度か明るい世界へ転生された時だった。

遠くで先生の声がした。何を喋っているかは全く聞き取れないが、先生と看護師が話している声で間違いなかった。

その時私は、明るい世界のこの光は、手術室の電気であることに気付いた。

そして次に暗い世界に行った際に、この暗闇は私の瞼だということにも気付いた。

であれば、私は明るい世界にいた方がいいと思い、瞼を開いて、起きてますよアピールをした。

更に、手術室だと気付いたと同時に、私はアーやらウーやらのうめき声を出している事にも気付いた。

しかしながら、この時の私は、うめき声を出しているという認識はない。喉の辺りが小刻みに震える時に、一緒に音が聞こえる、という感覚である。

しばらくアーやらウーやらの音が何度か聞こえたのち、アーとウーの間に何も聞こえない瞬間があり、この何も聞こえない状態になった方がいい、と理性が働いて、私は喉の力を抜き、「黙る」ことに成功したのだった。

そして、股に強く布かガーゼを押し当てられている感覚があり、この瞬間に、私は今手術中である事を思い出した。

それまでは、麻酔前の意識の流れで手術手術、と思っていただけで、今思えば、この瞬間こそ麻酔から目覚め、手術を受けている認識に至ったのだ。

しかし、手術中である事に気付いた私は、先生が言ってる内容を聞き取ろうとしたが、全く聞き取れなかった。

覚醒はしているが、まだしっかりと麻酔の支配下にいるようであった。

覚醒してどのくらい経ったかは分からないが、ついに、先生の「終わりましたよ」がしっかりと聞こえた。

その終わりましたよ、を筆頭に、看護師の「終わりましたよ、スマホ持ってきましょうか」なども聞き取れ、私は無事に麻酔から覚めたのであった。

はい、と返事をして、スマホを手に取った。

しかし、さすがは静脈麻酔。まだ体中の至るところが麻酔で浸透しており、口も縫われているかの如くほとんど開かず、右手は痺れて使えなかった。まだ何とかなった左手でスマホを取り、1分くらいかけてパスワードを開け、ラインを開いて、夫に一言「終わった」と送り、そのまま力尽きたのであった。

 

 

 

麻酔から目覚めて1時間後、薬剤師の性なのか、看護師に「何ていう麻酔を使ったんですか?」と聞くと、ケタラールですと言われた。

麻酔に疎かった私は、添付文書のアプリで調べたところ、医療用麻薬であった。

そりゃ麻薬打たれりゃ宇宙くらい行くかもな、と腑に落ちたのだった。

 

天国に一番近い島

ニューカレドニアという国をご存知だろうか。

 

卒業旅行としてこの国を選んだのだが、仲の良い先輩に言われるまでは聞いたこともなかったニューカレドニア

しかし行ってみると、なるほどここは天国であった。

ニューカレドニアはオーストラリアのほぼ横にあり、日本から飛行機でおよそ8時間。機内で1日を過ごした感じ。

季節は真反対で、この日の気温は25度。

 

そんなこんなで、ひとまずニューカレドニアの写真を貼ってみる。

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絵にも描けない美しさという言葉はこの国のためにあると言っても過言でない。

あれ、私写真の中に入っちゃった?と思わざるを得ないほど。

なんと言ってよいかわからないが、とにかく綺麗。こんな場所って本当にあるんだなぁと思いながらホテルへ向かう。

 

そしてホテルからの景色に息を飲む。

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最高ですか?最高です!!!!

 

ニューカレドニアの良さと美しさは、百聞は一見にしかずという言葉があるように、今回のブログは文体より写真を貼ることにする。

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THIS IS 花びらの形をしたジェラート

 

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あ、ところで治安はめちゃくちゃ良い。はっきり言って日本よりも良い。

みんなのんびり暮らし、知ってる人知らない人に関わらず挨拶をし、誰も急いでいないし余裕がある。

天国から一番近い島=治安が悪くてすぐ死ぬ、と解釈したどこかのツレがいたが、音楽と余裕と優しさに包まれた本当に良い島であった。

 

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ニューカレドニアでの食事。

物価は少々高いと聞いていたが、物価が高いというより量が多いからそりゃこの値段だろう、という感覚であった。

 

 

 

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ニューカレドニアの言語はフランス語であるが、日本人の観光客が多いこともあって、日本語が通じるところもあるし、日本人が働いている店もある。

しかしながら義務教育で習う程度の英語で対処できたので、言語で困ることはなかった。

 


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15年ぶりに海に入ったのだが、本当に楽しい。シュノーケリングをして魚を見たり、めちゃくちゃでかいナマコをみたり。カヌーを漕いで日向ぼっこをしたり、浜辺でただただ海を眺めたりと、優雅でのんびりとした時間を過ごす。しかし、その後の副作用はむごかった。日焼け止めを何度も塗ったにも関わらず、肌は真っ赤になり頭皮は分け目を変えざるを得なかった。

 

 

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ニューカレドニアは本当に最高の島であったが、海外にいることで日本の良さがわかることも多かった。

日本はホテルの冷蔵庫が水浸しになることもないし、お湯が出なくなって部屋を移動させられることもない。バス停にはちゃんと時刻表が貼ってあるし、バスは冷房が効いているし、車内でクモが降ってくることもない。

ニューカレドニアは最高だ。しかし日本は、みんながまじめに働いてくれるお陰で、上記のことを気にせず快適に過ごすことが出来るのだ。今まで当たり前だと思っていたが、海外に来て初めて気付いたことでもあった。

 

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まあ色々書いたが、とにかく言いたいことは一つだけ。

人生で一度はニューカレドニアに行った方が良い!!ということ。

 

 

薬学生だが薬剤師になりたくない話

薬学部に通っている私だが、薬剤師の仕事にまるで興味がない。白衣を着て薬を作り、患者さんに服薬指導するといった、薬剤師らしい仕事をしたくないのである。

 

なぜ薬学部に入ったのだと責められそうだが、元々は給料が良い仕事として薬剤師という職業を知った。確か12歳くらいの頃だったと思う。

給料の良さに飛びつくなんて、12歳の頃から金に飢えているような性格だったのかと言われればそうでもないのだが、小学生だとむしろ、給料がいい仕事のみに魅力的に感じるのかも知れない。薬剤師がどんなことをする仕事かは知らないが、給料が良いからという理由で薬剤師を志望し、そのまま大学受験期を迎えてしまったので、なんとなく薬学部に来たという成り行きである。

そんな感じで大学に来たので、勉強がまるで面白くない。これを学んで将来何に使えるのだという内容ばかり勉強している気がする。高校の時に、将来絶対使わないような漢文を習わされているのと全く同じ状況なのである。

当然ながら成績も常に下から一桁をキープしているが、あまり気にしていなかった。国家試験が近づいてきて、今更になって一桁の成績が気がかりになってきてたが、既に遅い。

そもそも私は、薬剤師の仕事に興味がないのだ。私は白衣よりもスーツを着て、オフィスでパソコンをカタカタさせ、上司にペコペコして金を稼ぐOLになりたいのである。

しかし、薬学部に来たことを今更悔やんでも仕方ない。6年間という年月と、この大学に振り込んだ大金は返ってこない。学費に関しても色々と不満はあるのだが、ここで語ると話がズレるので今回は省略する。

ではなぜ私は、漠然とOLになりたいと思っているのか考えたところ、親の影響だと気付いた。

 

私の父親は、自分で言うのもなんだが優秀なサラリーマンだと思う。サラリーマンというか、多分世の中でいう官僚の仕事をしているのだが、その出世ぶりと効率の良さが嫉妬しても良いレベルで優れている。

トンビが鷹を産むということわざがあるのなら、鷹がトンビを産むということわざがあっても良いだろう。この優秀な遺伝子が、なぜ私の細胞内へ引き継がれなかったのかと非常に悔やまれる。私を形成しているはずの遺伝子は、形成中に一体何の仕事をしていたのだと聞きたいところだ。

 

父親が毎日バリバリ働き稼いでくる姿を見て、無意識に憧れを抱いてきたのかもしれない。将来は病院や薬局などではなく、会社で働く傍らエッセイストとして文を書くことが出来ればいいなとぼんやり思う日々である。

サンタクロースを信じていた話

親にサンタクロースの正体を暴露されたのは私が中学1年生の時である。

 

 

私が小学生の頃までは、至って普通にサンタクロースの存在を信じ切っていた。

 

中学に上がった冬、私はウォークマンが欲しかったのだが、値段が張るので親には買ってもらえないなと諦めていた。しかしクリスマスが近かったこともあり、お金の無い親に頼むよりも、何でもプレゼントしてくれるサンタクロースにお願いした方が良いと思いついた。

今まではわざわざ親とトイザらスへ行ったり、トイザらスから届くチラシを見てあれが欲しいだのこれが欲しいだのと言いふらしていたが、私ももう中学生である。いちいち親に言わなくてもサンタクロースであれば私の心の内がお見通しであろうと考え、心の中で唱えることにした。

そもそもサンタクロースはこの1年間、世界中の子供たちが良い子だったか悪い子だったかを毎日チェックし、プレゼントを届けるか届けないか判定しているほどの観察力を持っている。なので私がこの1年間どう過ごし、何を感じ、何が欲しいかまで分かって当然だ。ここまでの考えに行き着いたのも、私が少し大人になった証拠である。

 

そう思いついた私は、欲しい物は親に言わないことにした。サンタクロースの目に今年の私は良い子に映ったかどうかは分からないが、大して悪いこともしていないのでその辺の心配は無用であろう。

 

そして12月25日。目を覚ますと枕元にはプレゼントが置いてあった。今年の私は良い子であると判定されたようだ。ひとまず胸を撫で下ろし、早速プレゼントを開けた。

しかしウォークマンが入っていると思って開けた箱に、漢検と英検のDSのカセットが入っていたのである。どう考えてもおかしい。私はDSのカセットを頼んだ覚えもなければ、漢検英検の勉強をしたいなんてことも言っていない。

一体サンタクロースはどうしたのか。ウォークマン漢検英検のカセットと間違えるなんて、はっきり言って相当馬鹿ではないか。小学生でもこの違いは分かるし、世界中の子供たちをジャッジできるサンタクロースなら尚更である。

プレゼントを届けてくれたありがたみなど忘れ、サンタクロースに対して不信感を抱きながらもその日は習い事へ向かった。

 

そう言えば友人はどうだったのだろう。友人も私と同じように意味のわからないプレゼントが届いたのだろうか。もしそうなら今年のサンタクロースがおかしいしという事になるのだが、気になって仕方がなかったので友人に聞いてみることにした。

同じ習い事に来た友人に「今年サンタさん来た?」と尋ねると「来なかった」とまさかの返答がきた。

「え!なんで!?」と何度も聞いたが、友人は「分からない」の一点張りである。「サンタさんにプレゼント頼まなかったの?」と聞くと「頼まなかった」と言う。

この友人は特別悪い感じでもないし、プレゼントをもらえない理由がない。この友人には欲しい物が無かったにしても、『今年は良い子にしてたね』とかなんとか書いた手紙の一つや二つくらい枕元によこしても良さそうなものだ。やはり今年のサンタクロースはどうかしてしまったのかもしれない。

 

なんだか妙な胸騒ぎがし、気分が晴れないまま帰宅した。家では父親がクリスマスツリーの後片付けをしていた。

私はなんとなく父親に「サンタクロースってお父さんなの?」と聞いた。すると父親は寂しそうに笑いながら「弟には言ったらあかんで」と言った。

 

血の気が引くとはこの事である。

この時の膝から崩れ落ちそうな感覚は今でも忘れることが出来ない。もっとも、13年間いると思っていたサンタクロースという人は実はいなかったということは、つまりサンタさんが死んだという感覚に近かったような気がした。

今までサンタクロースと一緒に過ごしてきたと信じていたクリスマスだが、父親が片付けたこのクリスマスツリーと共に終わったのである。

 

だが、これで謎が解けたのは言うまでもない。毎年枕元にプレゼントを届けてくれたのはサンタさんではなく親だったからこそ、今年は漢検英検のDSのカセットが届いたのである。その時はひどく納得したが、それにしても漢検英検のカセットはクリスマスプレゼントとしてはセンスが無さ過ぎると思う。

 

しかし一つ腑に落ちない点がある。漢検英検のカセットが届いたあの夜中、私は目を覚ました。2階の部屋にいた私は誰かが階段を降りる音を聞いたのだが、その足音が家族の誰の足音でもないのだ。それに父親は今まさに私の隣で寝ているので、家族であれば足音の正体は母親ということになる。しかし母親はいつ何時もスリッパを履いており、スリッパの足音がするはずなのにこの足音はもっと、靴のようなドスドスという足音なのである。

更にいえば、そのドスドスとした足音は、階段を降り切ったか降り切ってないかぐらいのところで忽然と消えたのだ。

枕元を見るとすでにプレゼントが置いてある。この時の私は確実に「サンタクロースだ!!」と思ったのだが、サンタクロースの正体が親だと分かった今、あの足音が何だったのか分からない。

 

とにかく毎年来ていたサンタクロースの正体はうちの親であったことに違いないが、この広い世界のどこかに本物のサンタクロースはいるんだろなぁと思う程度には、サンタクロースの存在を信じているところだ。

ちょっとしたホラーな体験の話

8月も終わりだというのに今年の私は夏らしいことを何一つしていない。

 

唯一の夏らしい事と言ってもLINEで花火と打って出てきた花火を眺め、電車の中から海を眺め、スーパーで買ってきた半額のスイカを食べて過ごすという有様である。

せめてホラー映画の一つでも観れば良いのだが、私はおばけがめちゃくちゃ苦手だ。

実際に見たことは無いがおばけの存在は信じているし、霊感というのは20代半ばで発症することもあるらしいので、むしろそろそろ心構えなければならないと思っている。

今のところ全く霊感の無い私だが、以前霊感の強い後輩と話す機会があった。

 

後輩との出会いはツレの部屋である。

一人暮らしをするツレの家へ行くとその後輩がいた。簡単に言うと私は彼とその日が初対面だったのだが、私とツレが所属する同じ部活の部員らしく、一応後輩にあたるので後輩と呼ぼう。

対面して早々、彼に霊感があることを知った。

以前ツレが部屋で寝ていると突然金縛りにあい、ふとベットの横を見ると、女の人と子供が座っていたと話してきたことがあった。そしてその日後輩は、部屋に入って来るなり、この部屋には女の人と子供の霊がいると言ったという。しかもベットの横を指しながら。

これはもう、彼に霊感があると信じざるを得なかった。これ以外にも彼は、今までにたくさんの霊的体験をしてきたという。

そんな話をしていると、ツレが今からバイトへ行くと言い出した。

ちょっと待って欲しい。確かに私はツレがバイトへ行ってる間に晩御飯を作り、バイトから帰ってきたツレと一緒にご飯を食べるためにツレの家へ訪れたが、女の人と子供の霊がいると分かったこの部屋で一人で22時まで過ごすというのか。

私は非常に怖がりなので、とてもじゃないが一人で晩御飯は作れそうにないと訴えた。するとそれを聞いた後輩が、暇なのでツレのバイトが終わるまで一緒にいてくれると言うのである。

これは助かったと思い、とりあえず後輩と共に晩御飯を作ることにした。

ツレがバイトへ行き、私たちは晩御飯の準備のためにスーパーへ向かった。この日の晩御飯は、天津飯の上に麻婆茄子をかけたオリジナルメニュー「麻婆茄子天津飯」であった。

スーパーへ行く途中、私は後輩から霊について様々な話を聞いた。中でも一番怖かったのは逆拍手というものである。

ここには描きたくないくらい、本当に怖くて恐ろしい話だったので、知らない人は是非調べて欲しいが全て自己責任でお願いしたい。触らぬ神に祟りなし程度でめちゃくちゃ簡単に説明すると、「逆のものはあの世(霊)のもの」という意味である。

 

そんなこんなでスーパーで食材を買い、女の人と子供の霊がいるというツレの家へ戻ってきた。だが横には後輩がいるので、とりあえず安心である。

早速、麻婆茄子天津飯を作り始めた。しかし私は料理があまり得意でない。先に難しそうな麻婆茄子から作ることにした。

麻婆茄子を作っている最中に米を炊いていない事に気付き、慌てて米を炊く。そうこうしている間に意外にも麻婆茄子は出来上がった。

とりあえず出来た麻婆茄子を皿に盛り付けた。次に天津飯の卵の部分を作り、上にかける天津飯のタレも一緒に作り始めた。卵は焼くだけだったのですぐに出来上がったが、新しく皿を出すのが面倒になり、麻婆茄子の上に卵を乗せた。

そしてこのタイミングで米が炊か上がったので、何のためらいもなく卵の上に乗せる。最後にタレが完成したのでタレをかけた。

ようやく完成した麻婆茄子天津飯を見てハッとした。上からタレ、ご飯、卵、麻婆茄子という順番に盛られたこの料理は麻婆茄子天津飯ではなく、逆麻婆茄子天津飯だったのである。

 

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本来は米の上に卵を乗せてタレをかけ、最後に麻婆茄子を乗せるはずだったのである。しかし逆拍手の話をしてから、この後輩が来てから、この部屋で使った料理が逆の状態で出来上がるなんて、とてもじゃないが偶然とは思えない。それに気付いてしまった時、思わず叫び声をあげたのは言うまでもない。

 

後輩にも帰ってきたツレにも必死に事情を話したが、2人ともただ料理の順番を間違えただけじゃないかとまともに取り合ってもらえなかった。ひょっとするとこれもおばけのせいかもしれない。

 

未だにツレには信じてもらえず、友人に話しても馬鹿にされる始末だが、私は実際に体験した唯一のホラー話だと思って疑わない。

 

M-1に出場した話 その2

前回の続きになるが、M-1の予選に出場した時の話である。

 

当時の私は中学生で、テストを控えていた。

ネタが全く決まらず、ボケーーと過ごしているうちにテスト期間に入ってしまったのだ。

しかも、金曜日にテストが終わり、土曜日を挟んだ日曜日が本番という鬼的スケジュールが組まれていた。テスト期間が終わってから2日でネタを作って仕上げるなんて、プロでも間に合わない状況である。

しかしまだ中学生であるためテストを放置するわけにもいかず、とりあえずネタ作りは中断せざるを得なかった。本番にきっと間に合わないなぁ、どうしようかなぁと思っていたところ、意外なところから救世主が現れた。

父親である。国家公務員でかなり上の役職にもついている厳格で真面目な父親が、ネタ作りに困った可愛い娘を見かねて、代わりにネタを作ってくれたのだ。

確かに父親は昔から私を散々甘やかして育ててきたが、娘の代わりにネタを作ってあげる父親は吉本界を見渡しても流石にうちだけだろう。

しかも、こんな真面目な父親が作ったネタなのだから対して面白くないだろうと期待せずに読んだところ、結構面白いのである。あまり覚えていないが、ボケが勉強したくない的な主張をしてツッコミがツッコんでいくという学生らしい仕上がりになっていた。

ところどころつまらない箇所があったので、それを私が軽く手直しし、テストが終わった金曜日の夜にようやく完成した。父親が作ったネタにも関わらず、謎の達成感に満ちていた。

そして土曜日に友人がうちに来た。今から明日まで、泊まりがけでみっちりネタを覚えるのである。

ここで私と友人の親が、私の方が声が低く、友人は声が高いから、声の高い友人がボケた方が面白いんじゃないかとの指摘を受けた。声が低い私がボソっと喋ってボケるより、あっけらかんと話す友人がボケた方が面白いと思ったらしい。ボソっとツッコむのも面白くない気がしたが、話し合った結果、ボケとツッコミの担当を入れ替えることにした。

友人は頭が良く、私も演劇部に所属していたお陰で2人ともセリフの覚えは早かった。20回ほど合わせたところで、友人は明るくボケ、私がボソっとツッコむというバランスの悪い漫才が誕生した。

 

本番当日、我々は大阪にいた。確かHEP大阪とかだったと思う。会場へ行くと、私達と同じくアマチュア部門の出場者で溢れかえっていた。

舞台の裏で待っているとお笑い芸人のシャンプーハットが通りかかった。芸能人との思わぬ遭遇であったが、本番を控えているのでそれどころではない。セリフが飛ばないよう、何度も何度も頭の中で復唱した。

そしていよいよ、私らの出番になった。観客は何人かいて、その中に審査員が混じっているようである。コンビ名が呼ばれ、私達はステージ上のマイクに向かって走った。そして2日で仕上げた精一杯の漫才を披露したのである。

 

客の反応はそこそこ良く、思った以上にウケた感じがした。

ネタは、勉強したくないというボケにツッコミが勉強の楽しさを伝えていくという内容だったのだが、

ボケ「歴史とか将来使わんのに、なんで勉強せなあかんの」

ツッコミ「大阪城豊臣秀吉が作ったんやなとか分かったらお城巡りとか楽しいやん」

ボケ「大阪城作ったのは大工やで」

というしょうもないネタが謎にウケてしまい、私が焦ってツッコめなかったというトラブルが発生したが、それでも終始笑顔に包まれた漫才だったと思う。単に客が良い人達だったというだけかもしれないが、みんなが笑顔になれるお笑いって素晴らしいなと思いながら漫才を披露したのであった。

帰りの車では、思った以上に客の反応が良かったことで「結構手応えあったな」「これは予選いけたんちゃうか」と盛り上がった。ひょっとしたら、100分の1くらいの確率でお笑い芸人になれるかもしれない...と夢すら抱いた。

後日、予選を通過したコンビが発表されたが落選していた。当然の結果である。

しかし、少しでも私達に夢を見せてくれたこと、私達が喋ることで見知らぬ人達が笑ってくれることの嬉しさや楽しさを知った。M-1に出場しなければ知り得なかったことだ。

 

私達にM-1出場のきっかけをくれた杉浦太陽に感謝したいところであるが、彼も中学生の女の子がまさかあの一言で本当にM-1に出るなんて思ってもみないだろうし、何よりも私達本人が、M-1に出場したことを未だに一番驚いているのである。