天国に一番近い島

ニューカレドニアという国をご存知だろうか。

 

卒業旅行としてこの国を選んだのだが、仲の良い先輩に言われるまでは聞いたこともなかったニューカレドニア

しかし行ってみると、なるほどここは天国であった。

ニューカレドニアはオーストラリアのほぼ横にあり、日本から飛行機でおよそ8時間。機内で1日を過ごした感じ。

季節は真反対で、この日の気温は25度。

 

そんなこんなで、ひとまずニューカレドニアの写真を貼ってみる。

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絵にも描けない美しさという言葉はこの国のためにあると言っても過言でない。

あれ、私写真の中に入っちゃった?と思わざるを得ないほど。

なんと言ってよいかわからないが、とにかく綺麗。こんな場所って本当にあるんだなぁと思いながらホテルへ向かう。

 

そしてホテルからの景色に息を飲む。

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最高ですか?最高です!!!!

 

ニューカレドニアの良さと美しさは、百聞は一見にしかずという言葉があるように、今回のブログは文体より写真を貼ることにする。

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THIS IS 花びらの形をしたジェラート

 

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あ、ところで治安はめちゃくちゃ良い。はっきり言って日本よりも良い。

みんなのんびり暮らし、知ってる人知らない人に関わらず挨拶をし、誰も急いでいないし余裕がある。

天国から一番近い島=治安が悪くてすぐ死ぬ、と解釈したどこかのツレがいたが、音楽と余裕と優しさに包まれた本当に良い島であった。

 

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ニューカレドニアでの食事。

物価は少々高いと聞いていたが、物価が高いというより量が多いからそりゃこの値段だろう、という感覚であった。

 

 

 

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ニューカレドニアの言語はフランス語であるが、日本人の観光客が多いこともあって、日本語が通じるところもあるし、日本人が働いている店もある。

しかしながら義務教育で習う程度の英語で対処できたので、言語で困ることはなかった。

 


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15年ぶりに海に入ったのだが、本当に楽しい。シュノーケリングをして魚を見たり、めちゃくちゃでかいナマコをみたり。カヌーを漕いで日向ぼっこをしたり、浜辺でただただ海を眺めたりと、優雅でのんびりとした時間を過ごす。しかし、その後の副作用はむごかった。日焼け止めを何度も塗ったにも関わらず、肌は真っ赤になり頭皮は分け目を変えざるを得なかった。

 

 

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ニューカレドニアは本当に最高の島であったが、海外にいることで日本の良さがわかることも多かった。

日本はホテルの冷蔵庫が水浸しになることもないし、お湯が出なくなって部屋を移動させられることもない。バス停にはちゃんと時刻表が貼ってあるし、バスは冷房が効いているし、車内でクモが降ってくることもない。

ニューカレドニアは最高だ。しかし日本は、みんながまじめに働いてくれるお陰で、上記のことを気にせず快適に過ごすことが出来るのだ。今まで当たり前だと思っていたが、海外に来て初めて気付いたことでもあった。

 

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まあ色々書いたが、とにかく言いたいことは一つだけ。

人生で一度はニューカレドニアに行った方が良い!!ということ。

 

 

めちゃくちゃ疲れているとても疲れているとてもとても疲れている

今の私がなぜここまで疲れているのかというと、朝

というか夜中の2時に目が覚めた。なぜなら寝ていたはずの布団がしぼんでいたから。

私は翌日のディズニーランドのために従姉妹の家に泊まっていたのだが、布団が無いので従姉妹が用意したエアマットレスを敷いて寝ていた。しかし、そのエアマットレスの空気が抜けて、気が付けば私の尻は深く沈み、ふにゃふにゃの水風船の上で寝ているような状態になっていたのである。

 

目覚めたは良いものの、今さらエアマットレスを膨らますのも面倒なので、そのまま床に転がって寝ようとした。が、一度目が覚めるとなかなか寝れない体質な私。待てど暮らせど眠りにつけず、結局朝の6時に眠りについた。

そして気が付けば朝の8時半。電車に乗っているはずの時間にようやく目覚めた。1時間半も寝坊しているのだから先に起きていた従姉妹は私のことを叩き起こしても良いはずなのだが、しぼんだマットレスを目の当たりにし、事情を悟ったのか起こさずに待っていたようである。

 

そんなこんなでディズニーランドに着いたのは11時であった。そしてここで私は重大なミスをおかす。

リュックをロッカーに預けなかったのである。なんだ、その程度か、と思ったそこのあなた。リュックサックをなめてはいけない。厳密に言えば服とパジャマを詰めたリュックをなめてはいけない。

今までの私は教科書を何冊も詰めてパンパンにさせたリュックを背負って学校へ行っていたので、ほとんど服しか入っていないリュックはとても軽く感じた。そのため、このくらいなら1日中背負っていられるだろうと軽い気持ちでずっと背負っていたのだが、3時間を過ぎたあたりですでに肩は悲鳴を上げ始めた。背負ってから3時間といえば、ディズニーに着いてすぐに朝ごはんを買って食べていた時間である。夜8時に終わるエレクトリカルパレードまでこの肩は持つのだろうか。そんな不安がよぎったが、ここは夢の国である。リュックの重さで肩がやられるなんてそんなの現実の世界だけだろう。

 

そうこうしているうちに15時のお昼のパレードの時間になった。この頃には肩こりに加えて寒さがピークを迎えた。風がとても強かったのである。昼に寒さのピークを迎えるなんて夜は一体どうなってしまうのか、、、寒さとリュックの重さで疲労はどんどん増して行く。

 

パレードが終わり、まだ17時であったが、先にお土産を買うことにした。だいたいのゲストは帰る時間である21時頃にお土産を買うので、この時間は空いているためだ。

のはずだったが、なぜかお土産コーナーは大変混雑していた。めちゃくちゃ人が多い日の21時くらいの混み具合である。リュックを背負ってズカズカと歩いて行くなんてとんでもない。これはまずいとリュックを下ろしたにも関わらず、荷物無しの単体な生身の私でさえ1歩も動けないのだ。

ここでついに限界を超えた私は、もうエレクトリカルパレードなんていつでも観れるからと理由をつけて帰ることにした。パレードや35周年限定のショーを見るために遥々ディズニーへやって来たことなどどうでもよい。健康が何よりも一番である。心が疲れてはせっかくのパレードだって楽しめるはずがない。

 

そう決めた私はそそくさと関西まで帰ることにした。しかし、東京駅の新幹線乗り場でぐったりして弁当を買う時間が無くなり、新幹線のホームを間違え、新幹線内の席を間違える始末。挙句の果てに家へ向かうバスに乗り、降りようとしたまさにその時、ポップコーンケースを落として床一面にポップコーンをばら撒くという前代未聞の事件を起こした。バス内の関係ない乗客にまで夢の国気分を 頼まれてもいないのにおすそ分けし、もうなるようになれ、という気持ちである。

バスの中にはポップコーンを片付けてくれるキャストもおらず、自分で片付けるしか無かったが、さっさと降りなければバスは発車してしまう。パニックと疲労に満ちた私は、落ちたポップコーンを右手で一掴みだけ拾い、バスを降りてその辺の林に投げ捨てた。バスの運転手さん、乗客の皆さん、拾ってやれなかった残りのポップコーンたちをどうか温かい目で見てやってください。

 

そんなこんなでようやく家に辿り着き、今はベッドの上でこのブログを書いている。目はとっくに半目でコンタクトは干からび、文章を書く脳みそも能力も無くなってかなりイライラしながら書いている。

ブログは本来楽しく書くものなのに...どれもこれも今日が特別に疲れているせいだから、と思いたい。

無題

久しぶりに記すことにした。

 

というこの1文から先を、書いては消し書いては消しを繰り返して30分程経った。

半年前は思いつくがままにスマホの画面に指を走らせていたのに、しばらく文章を書かないとなるとこうである。国家試験の勉強のために常に頭をフル回転させていたつもりであったが、文を生産する脳はまるで退化してしまったようだ。

 

更には、久しぶりにブログを開いたは良いが、書くことが全くない。なぜならこの半年はひたすら国家試験に向けた勉強をしており、ブログのネタになるようなことは何も起こっていないからだ。

この記事のタイトルだって、こーいう内容のないブログには大体『無題』とついているだろうという安易なイメージでつけたまでである。

強いてネタになりそうな話を言うならば、これだけ必死に1年間勉強をしてきたにもかかわらず結局国家試験は落ちたという、他人の不幸が自分の幸福みたいな人にはうってつけのオチがあるくらいだろう。あと国家試験は相対評価なので、私が落ちたお陰で誰か1人が受かったことになるため、その受かった人には私の分まで薬剤師人生を謳歌していただきたいという願望も述べておこう。

 

国家試験は落ちたが、当の私と言えばそれほど落ち込んではいない。国家試験に落ちたからと言って死ぬわけじゃないし別に来年もあるし、という程度に結果を受け止めているところだ。

 

そんな私は今、栃木県に行くために新幹線に揺られている。暇で仕方なかったので、気まぐれにブログでも更新しよう、と思ったのである。

 

書いたは良いが本当に書くネタが見つからなかったので、ひとまずここで終わらせることにする。

 

 

ラブホテルに行った話

ツレとラブホテルへ行った時の話である。

そもそも私とツレはあまりラブホには行かないが、その日は遠出をしたのでラブホに泊まることになった。余談だが、ラブホはとてもコスパが良い。低価格にも関わらず、コンタクトレンズセット、乳液や化粧水などのアメニティの揃い具合が素晴らしい。風呂もテレビもデカくて、更にカラオケもついている。しかもメンバーになってしまえば、学食レベルの料理が100円で出てくるなんてこともある。友人とは泊まりづらいところだが、恋人となら学生にはもってこいのホテルだと言える。

話は戻って、とある田舎のラブホに泊まった。この値段で部屋も風呂も広く、非の打ち所がないと言いたいところだが、潔癖な私にとっては誰が何を触った分からない手で掴んだドアノブやリモコンが恐怖でしかない。その点だけラブホの残念なところである。

ところで、せっかくのホテルだが私は生理が終わったか終わってないかだった。多分終わったと思うけど、ひょっとしたら終わってないかもしれないという微妙な時期であった。男性には分からないであろうが、女子には生理かどうか微妙な日というのがあり、たまたまその日がソレになってしまった。

しかし、事情により、私のために遠出をしてホテルに泊まってくれたのと、最近私が不機嫌だったりして久しくしていなかったのもあって、せっかく泊まるのに何もしないのは、恋人として申し訳ない気がした。

しかし、生理が終わってるか終わってないかの日に出し入れをするのもどうかと思い、かなり葛藤した。しかし申し訳なさが勝り、話し合った結果、風呂場でしようということになった。

それなら、万一出し入れの際に何かあっても、シャワーで流すことが出来る。ベットを汚すよりかはましなので、風呂場ならと私も乗り気になった。

しかし、早速問題が発生した。風呂場でどうやってするかだ。なかなか難しい気がした。立ちながらするのもあるが、残念ながら私達はそこまで器用ではない。仕方がないので、いつも通り寝転んでしようとしたが、相手は床である。ベットではなく、水たまりのごとく濡れた床なのだ。当たり前だが、寝転ぶとかなり冷えた。

そこで、バスタオルを敷くことにした。そこまでして行為をしたいのか、もはや意地でしたいのかはもはやわからないが、とりあえずやってみるだけやってみればいい。私は2枚あるバスタオルのうち、1枚を取って風呂場へ戻った。

バスタオルをそのまま敷くよりは濡らすとより良いだろうと思い、持ってきたバスタオルにシャワーをかけてひたひたに濡らした。さて、バスタオルを敷きましょうと広げたところ、なんと持ってきたのはバスタオルではなく、バスローブだった。

突然のバスローブの登場に「え!?」などとすら言わず、とにかく大爆笑だった。2人の笑い声がホテルの無駄に広すぎる風呂場に響き渡った。バスタオルを濡らしたつもりが、バスローブをびしょびしょに濡らしてしまうという間抜けな行為に、2人とも笑うしかなかった。

結局、バスローブを濡らしてしまったショックで向こうの息子はガン萎えし、結局することは無かったのである。

 

 

ところで半年後に国試を控えている身なので、ブログは月に1回書くか書かないか、当分お休みしようと思います

また会う日までさようなら〜〜

たまに思い描く空想の話

私はたまにしょうもない空想をすることがある。

一見映画にも出来そうな話を妄想するのだが、なぜかどうでも良いオチに仕上がってしまう。物語りを作るのは非常に難しいのである。

もしよければそのしょうもない空想に少しばかりお付き合いいただきたい。

 

 

主人公である私が、ツレと大喧嘩をした時のことである。ツレの家で大喧嘩をし、我慢出来なくなった私は思わずツレの家を飛び出す。無我夢中で帰っていると、車の存在に気付かずそのまま轢かれてしまった。

気付けば病院にいた。病院にいたというより、病院で静かに横たわる自分の姿を眺めていた。ピクリとも動かない自分の横で家族が泣いている。私は死んでしまったのである。

そうか私は死んだのか、と思うと同時に、私はこの世にまだ魂だけが残っている状態であることに気付く。そう、私は成仏していないのだ。

成仏していないということは、この世に未練があるからということなのか。では何に未練を感じているのかと考えたところ、おそらくツレのことだと思った。

 

ツレと大喧嘩をし、なにも解決せぬまま私は轢かれて死んだのだから、ツレと和解出来ていないということに未練を感じているのだろう。私が成仏するためにはどうすればよいか。

恐らくツレに逢いに行き、私はこんな感じで突然死んじゃったけどあなたと出会えて幸せだったよ、とか感謝の言葉でも言っておこう。そうすればきっとそのまま静かに成仏出来るだろうと思った。

 

おばけになった私はそのまま病院から抜け出し、ツレの家へ向かった。だがこのまま歩いてツレの家へ行くのもどうかと思い、せっかく透明人間的な存在になれたのだから、少しは楽しもうと思い始めた。

まずはバスに乗る。もちろん無賃金だ。無賃金でバスに乗るなんて透明人間だからこそ出来ることである。そのままバスにゆられ、適当なところで降りる。

私が男だったら女風呂を覗くんだろうな、と思いながら銭湯屋さんを通り過ぎる。道中で好きだった果物屋さんに入り、大好きな果物を好きなだけ食い散らかす。もちろんみんなタダで。お腹いっぱいになると映画館に忍び込み、これまたタダで気になっている映画を飽きるまで観る。タダで好きなだけ飲み食いし、娯楽までもというこの状況がどれだけ楽しいものかを実感するのである。

死んだ目をしたサラリーマンなんかを見て、私にはもう未来の心配なんかしなくていいんだ、と安心する。目が死んだサラリーマンよりも全部死んでしまった私の方がよっぽど生き生きしてるんじゃないか、と思ってしまい、死んで良かったかもな、なーんて。

 

そんなことを考えていると、ようやくツレの家へたどり着いた。忘れかけていたが、私はさっさとツレと和解し、成仏しなくてはならない。

部屋へ忍び込むと、ツレは部屋で俯いて座っている。私はおばけとなってツレの前に姿を現した。

ツレは少し驚いたようだが、私は今まで起こったことを静かに告げた。

ツレはまた驚いたような悲しそうな顔をした。私は、大喧嘩をして家を出て行ってしまったけれど、あなたのことが好きよと言う。ツレも泣いて喜び、俺もだよと言った。

和解が出来た私は安堵し、もう会えないけどずっと見守ってるよ、と言って成仏する。

そして無事に天国へ行くのだが、なんとツレがいた。かなり驚く私。なんとツレは、私が家を飛び出した後にショックで自殺したと言う。つまり、部屋で俯いていたあのツレもおばけで、私と同じく未練があり、成仏できていなかったのだ。

そしてツレが、これからは天国で仲良く暮らそうね、と言い、私たちは笑い合って物語の幕が閉じるのである。

 

 

どうだろうこのどうでも良すぎる物語。この話をツレに話したが、勝手に仲良くやっとけよと一蹴されて終わった。当然の反応と言える。

こんなB級映画以下の物語をブログに書くのもどうかと思うが、私の脳内は実にしょうもない空想にまみれているので、一度はアウトプットしておこうかなと思ったまでである。

 

 

薬学生だが薬剤師になりたくない話

薬学部に通っている私だが、薬剤師の仕事にまるで興味がない。白衣を着て薬を作り、患者さんに服薬指導するといった、薬剤師らしい仕事をしたくないのである。

 

なぜ薬学部に入ったのだと責められそうだが、元々は給料が良い仕事として薬剤師という職業を知った。確か12歳くらいの頃だったと思う。

給料の良さに飛びつくなんて、12歳の頃から金に飢えているような性格だったのかと言われればそうでもないのだが、小学生だとむしろ、給料がいい仕事のみに魅力的に感じるのかも知れない。薬剤師がどんなことをする仕事かは知らないが、給料が良いからという理由で薬剤師を志望し、そのまま大学受験期を迎えてしまったので、なんとなく薬学部に来たという成り行きである。

そんな感じで大学に来たので、勉強がまるで面白くない。これを学んで将来何に使えるのだという内容ばかり勉強している気がする。高校の時に、将来絶対使わないような漢文を習わされているのと全く同じ状況なのである。

当然ながら成績も常に下から一桁をキープしているが、あまり気にしていなかった。国家試験が近づいてきて、今更になって一桁の成績が気がかりになってきてたが、既に遅い。

そもそも私は、薬剤師の仕事に興味がないのだ。私は白衣よりもスーツを着て、オフィスでパソコンをカタカタさせ、上司にペコペコして金を稼ぐOLになりたいのである。

しかし、薬学部に来たことを今更悔やんでも仕方ない。6年間という年月と、この大学に振り込んだ大金は返ってこない。学費に関しても色々と不満はあるのだが、ここで語ると話がズレるので今回は省略する。

ではなぜ私は、漠然とOLになりたいと思っているのか考えたところ、親の影響だと気付いた。

 

私の父親は、自分で言うのもなんだが優秀なサラリーマンだと思う。サラリーマンというか、多分世の中でいう官僚の仕事をしているのだが、その出世ぶりと効率の良さが嫉妬しても良いレベルで優れている。

トンビが鷹を産むということわざがあるのなら、鷹がトンビを産むということわざがあっても良いだろう。この優秀な遺伝子が、なぜ私の細胞内へ引き継がれなかったのかと非常に悔やまれる。私を形成しているはずの遺伝子は、形成中に一体何の仕事をしていたのだと聞きたいところだ。

 

父親が毎日バリバリ働き稼いでくる姿を見て、無意識に憧れを抱いてきたのかもしれない。将来は病院や薬局などではなく、会社で働く傍らエッセイストとして文を書くことが出来ればいいなとぼんやり思う日々である。

サンタクロースを信じていた話

親にサンタクロースの正体を暴露されたのは私が中学1年生の時である。

 

当時の私はウォークマンが欲しかったのだが、値段が張るので親には買ってもらえないなと諦めていた。しかしクリスマスが近かったこともあり、お金の無い親に頼むよりも、何でもプレゼントしてくれるサンタクロースにお願いした方が良いと思いついた。

今まではわざわざ親とトイザらスへ行ったり、トイザらスから届くチラシを見てあれが欲しいだのこれが欲しいだのと言いふらしていたが、私ももう中学生である。いちいち親に言わなくてもサンタクロースであれば私の心の内がお見通しであろうと考え、心の中で唱えることにした。

そもそもサンタクロースはこの1年間、世界中の子供たちが良い子だったか悪い子だったかを毎日チェックし、プレゼントを届けるか届けないか判定しているほどの観察力を持っている。なので私がこの1年間どう過ごし、何を感じ、何が欲しいかまで分かって当然だ。ここまでの考えに行き着いたのも私が少し大人になった証拠である。

 

そう思いついた私は、欲しい物は親に言わないことにした。サンタクロースの目に今年の私は良い子に映ったかどうかは分からないが、大して悪いこともしていないのでその辺の心配は無用であろう。

 

そして12月25日。目を覚ますと枕元にはプレゼントが置いてあった。今年の私は良い子であると判定されたようだ。ひとまず胸を撫で下ろし、早速プレゼントを開けた。

しかしウォークマンが入っていると思って開けた箱に、漢検と英検のDSのカセットが入っていたのである。どう考えてもおかしい。私はDSのカセットを頼んだ覚えもなければ、漢検英検の勉強をしたいなんてことも言っていない。

一体サンタクロースはどうしたのか。ウォークマン漢検英検のカセットと間違えるなんて、はっきり言って相当馬鹿ではないか。小学生でもこの違いは分かるし、世界中の子供たちをジャッジできるサンタクロースなら尚更である。

そんな風に思い、サンタクロースに対して不信感を抱きながらもその日は習い事へ向かった。

 

そう言えば友人はどうだったのだろう。友人も私と同じように意味のわからないプレゼントが届いたのだろうか。もしそうなら今年のサンタクロースがおかしいしという事になるのだが、気になって仕方がなかったので友人に聞いてみることにした。

同じ習い事に来た友人に「今年サンタさん来た?」と尋ねると「来なかった」とまさかの返答がきた。

「え!なんで!?」と何度も聞いたが、友人は「分からない」の一点張りである。「サンタさんにプレゼント頼まなかったの?」と聞くと「頼まなかった」と言う。

この友人は特別悪い感じでもないし、プレゼントをもらえない理由がない。この友人には欲しい物が無かったにしても、『今年は良い子にしてたね』とかなんとか書いた手紙の一つや二つくらい枕元によこしても良さそうなものだ。やはり今年のサンタクロースはどうかしてしまったのかもしれない。

 

なんだか妙な胸騒ぎがし、気分が晴れないまま帰宅した。家では父親がクリスマスツリーの後片付けをしていた。

私はなんとなく父親に「サンタクロースってお父さんなの?」と聞いた。すると父親は寂しそうに笑いながら「弟には言ったらあかんで」と言った。

 

血の気が引くとはこの事である。

この時の膝から崩れ落ちそうな感覚は今でも忘れることが出来ない。もっとも、13年間いると思っていたサンタクロースという人は実はいなかったということは、つまりサンタさんが死んだという感覚に近かったような気がした。

今までサンタクロースと一緒に過ごしてきたと信じていたクリスマスだが、父親が片付けたこのクリスマスツリーと共に終わったのである。

 

だが、これで謎が解けたのは言うまでもない。毎年枕元にプレゼントを届けてくれたのはサンタさんではなく親だったからこそ、今年は漢検英検のDSのカセットが届いたのである。その時はひどく納得したが、それにしても漢検英検のカセットはクリスマスプレゼントとしてはセンスが無さ過ぎると思う。

 

しかし一つ腑に落ちない点がある。漢検英検のカセットが届いたあの夜中、私は目を覚ました。2階の部屋にいた私は誰かが階段を降りる音を聞いたのだが、その足音が家族の誰の足音でもないのだ。それに父親は今まさに私の隣で寝ているので、家族であれば足音の正体は母親ということになる。しかし母親はいつ何時もスリッパを履いており、スリッパの足音がするはずなのにこの足音はもっと、靴のようなドスドスという足音なのである。

更にいえば、そのドスドスとした足音は、階段を降り切ったか降り切ってないかぐらいのところで忽然と消えたのだ。

枕元を見るとすでにプレゼントが置いてある。この時の私は確実に「サンタクロースだ!!」と思ったのだが、サンタクロースの正体が親だと分かった今、あの足音が何だったのか分からない。

 

とにかく毎年来ていたサンタクロースの正体はうちの親であったことに違いないが、この広い世界のどこかに本物のサンタクロースはいるんだろなぁと思う程度には、サンタクロースの存在を信じているところだ。