サンタクロースを信じていた話
親にサンタクロースの正体を暴露されたのは私が中学1年生の時である。
当時の私はウォークマンが欲しかったのだが、値段が張るので親には買ってもらえないなと諦めていた。しかしクリスマスが近かったこともあり、お金の無い親に頼むよりも、何でもプレゼントしてくれるサンタクロースにお願いした方が良いと思いついた。
今まではわざわざ親とトイザらスへ行ったり、トイザらスから届くチラシを見てあれが欲しいだのこれが欲しいだのと言いふらしていたが、私ももう中学生である。いちいち親に言わなくてもサンタクロースであれば私の心の内がお見通しであろうと考え、心の中で唱えることにした。
そもそもサンタクロースはこの1年間、世界中の子供たちが良い子だったか悪い子だったかを毎日チェックし、プレゼントを届けるか届けないか判定しているほどの観察力を持っている。なので私がこの1年間どう過ごし、何を感じ、何が欲しいかまで分かって当然だ。ここまでの考えに行き着いたのも私が少し大人になった証拠である。
そう思いついた私は、欲しい物は親に言わないことにした。サンタクロースの目に今年の私は良い子に映ったかどうかは分からないが、大して悪いこともしていないのでその辺の心配は無用であろう。
そして12月25日。目を覚ますと枕元にはプレゼントが置いてあった。今年の私は良い子であると判定されたようだ。ひとまず胸を撫で下ろし、早速プレゼントを開けた。
しかしウォークマンが入っていると思って開けた箱に、漢検と英検のDSのカセットが入っていたのである。どう考えてもおかしい。私はDSのカセットを頼んだ覚えもなければ、漢検英検の勉強をしたいなんてことも言っていない。
一体サンタクロースはどうしたのか。ウォークマンを漢検英検のカセットと間違えるなんて、はっきり言って相当馬鹿ではないか。小学生でもこの違いは分かるし、世界中の子供たちをジャッジできるサンタクロースなら尚更である。
そんな風に思い、サンタクロースに対して不信感を抱きながらもその日は習い事へ向かった。
そう言えば友人はどうだったのだろう。友人も私と同じように意味のわからないプレゼントが届いたのだろうか。もしそうなら今年のサンタクロースがおかしいしという事になるのだが、気になって仕方がなかったので友人に聞いてみることにした。
同じ習い事に来た友人に「今年サンタさん来た?」と尋ねると「来なかった」とまさかの返答がきた。
「え!なんで!?」と何度も聞いたが、友人は「分からない」の一点張りである。「サンタさんにプレゼント頼まなかったの?」と聞くと「頼まなかった」と言う。
この友人は特別悪い感じでもないし、プレゼントをもらえない理由がない。この友人には欲しい物が無かったにしても、『今年は良い子にしてたね』とかなんとか書いた手紙の一つや二つくらい枕元によこしても良さそうなものだ。やはり今年のサンタクロースはどうかしてしまったのかもしれない。
なんだか妙な胸騒ぎがし、気分が晴れないまま帰宅した。家では父親がクリスマスツリーの後片付けをしていた。
私はなんとなく父親に「サンタクロースってお父さんなの?」と聞いた。すると父親は寂しそうに笑いながら「弟には言ったらあかんで」と言った。
血の気が引くとはこの事である。
この時の膝から崩れ落ちそうな感覚は今でも忘れることが出来ない。もっとも、13年間いると思っていたサンタクロースという人は実はいなかったということは、つまりサンタさんが死んだという感覚に近かったような気がした。
今までサンタクロースと一緒に過ごしてきたと信じていたクリスマスだが、父親が片付けたこのクリスマスツリーと共に終わったのである。
だが、これで謎が解けたのは言うまでもない。毎年枕元にプレゼントを届けてくれたのはサンタさんではなく親だったからこそ、今年は漢検英検のDSのカセットが届いたのである。その時はひどく納得したが、それにしても漢検英検のカセットはクリスマスプレゼントとしてはセンスが無さ過ぎると思う。
しかし一つ腑に落ちない点がある。漢検英検のカセットが届いたあの夜中、私は目を覚ました。2階の部屋にいた私は誰かが階段を降りる音を聞いたのだが、その足音が家族の誰の足音でもないのだ。それに父親は今まさに私の隣で寝ているので、家族であれば足音の正体は母親ということになる。しかし母親はいつ何時もスリッパを履いており、スリッパの足音がするはずなのにこの足音はもっと、靴のようなドスドスという足音なのである。
更にいえば、そのドスドスとした足音は、階段を降り切ったか降り切ってないかぐらいのところで忽然と消えたのだ。
枕元を見るとすでにプレゼントが置いてある。この時の私は確実に「サンタクロースだ!!」と思ったのだが、サンタクロースの正体が親だと分かった今、あの足音が何だったのか分からない。
とにかく毎年来ていたサンタクロースの正体はうちの親であったことに違いないが、この広い世界のどこかに本物のサンタクロースはいるんだろなぁと思う程度には、サンタクロースの存在を信じているところだ。