お嬢様学校と呼ばれた学校の話

とある小学校で、肌着を身につけてはならないという謎の校則が物議を醸しているとのニュースをみた。

私は義務教育が嫌いな人間だ。義務教育が嫌いというより、私が通っていた中学、高校が嫌いだったのかもしれない。

 

私は中高一貫の私立の女子校に通っており、この辺の地域では、いわゆるお嬢様学校と呼ばれる立ち位置の学校だった。シスターが運営しているキリスト教の学校というのもあって、1日の始まりとして神に祈りを捧げ、聖歌を歌い、食事の前後も祈り、食事を終えると暝目をし、1日の終わりにも祈るという、神に祈る毎日を送っていた。

祈りの他にも、女子校特有のドロドロな交友関係を経験したり、友人がシスターの帽子をめくろうとして怒られた姿を見て笑ったりして、それなりに楽しい学生生活を過ごしていた。しかし、私がここまで義務教育という概念を嫌いになったのは、他でもない、この一貫校のせいであると言いたい。

私は昔から肌が弱い。多形日光症という病気だと分かったのは高校1年生の時だった。強い日差しや日光を浴びると湿疹が出来て、強い痒みが伴う。発症したのが11歳なので、12年間は海やプールにも入れず、露出した服も着れていない。私が青春らしい青春を謳歌出来なかったのは、この不便なアレルギーのせいであるとも言える。

便利なことに、普段の体育は必ず体育館で授業があったので、日光を浴びる心配をすることもなく、幸せな授業を受けれていた。しかし、問題は体育大会であった。

体育大会は、中学、高校だけでなく、同じく一貫である小学校の3校で行われる、非常に大きなイベントだった。そのため、体育大会の1ヶ月前は、毎日のように体育大会の練習も兼ねて、外で体育をさせられた。

練習の際は、私はジャージを着ていた。真夏が終わったばかりの9月の運動場は死ぬほど暑かったが、日焼けにより非常に痒い思いをするよりかはましなので、ジャージを着るしか無かったと言う方が正しい。なので、親を通して学校の許可をもらい、上下ジャージを着て、仕方なく汗だくで走り回っていた。

体育大会には、本番と予行演習があった。予行演習は、本番と同様、全校生徒の行進から始まり、本番と同様競技をし、本番と同様に行進で締めるのだが、予行演習の前日に事件は起きた。

担任の先生に呼び出され、何事かと思いながらら職員室へ行くと、先生にこう言われた。

「申し訳ないんだけど、明日の予行演習と本番は、ジャージを着ずに出てもらえる?」

え!?と思い、理由を尋ねると、他の人は体操服なのに、1人だけジャージだと目立つのでやめてほしいと言われた。

たしかに湿疹は、周りから見ればただのアレルギーかもしれない。しかし、痒みは生活の質を考える上で大事な要素ではないのか。痒みによって私の生活の質は確実に下がる。また、痒みにより湿疹部分を掻きむしれば、跡が残ることもある。そうなれば、私は嫁にいけず、家族にも恵まれずに孤独死を迎える可能性だってある。私のせっかくの1度きりの人生がおじゃんになるかもしれないのに、私の人権は無視するとでも言うのだろうか。

つまり、私の人権は、みんなで着るお揃いの体操服よりも価値が無いと言われたのだ。もちろん反撃してみたが、結局ジャージを着ることは許されず、後日私の体は湿疹にまみれる羽目になったというわけある。

また、防犯ブザーは、周りから見ればキーホルダーに見えるから、鞄の中にしまわなければならないという決まりもあった。金をドブに捨てるとはこのことである。そもそも防犯ブザーを見せること自体が防犯になりうるのに、キーホルダーに見えるからしまうというのはあまりにも理不尽ではないか。これにより突然襲われても防犯ブザーを鳴らすことが出来ない、という単純な考えに至らない教師の無能さを実感した。

どれもこれも、うちがお嬢様学校と呼ばれているからという理由に尽きる。お嬢様学校の生徒は、鞄にチャラチャラしたキーホルダーなんか付けないというイメージをつけたいだけなのだ。つまり、お嬢様学校ではなく、世間体を気にするお嬢様学校に見られたいエセお嬢様学校なのである。

世間体を気にする体質なので、1人だけジャージも許されなかったのだ。これに気付いた時は納得出来たが、だからといって私がジャージを着てはいけない理由にはならないと思う。生徒の健康よりも見た目重視な学校に来たことは、私の人生において心底後悔した選択だったかもしれない。

 

こう言いつつも、この学校で出会った友人のことは好きだし、今でも交流があるので、その点に関しては唯一学校に感謝しているところである。