たまに思い描く空想の話

私はたまにしょうもない空想をすることがある。

一見映画にも出来そうな話を妄想するのだが、なぜかどうでも良いオチに仕上がってしまう。物語りを作るのは非常に難しいのである。

もしよければそのしょうもない空想に少しばかりお付き合いいただきたい。

 

 

主人公である私が、ツレと大喧嘩をした時のことである。ツレの家で大喧嘩をし、我慢出来なくなった私は思わずツレの家を飛び出す。無我夢中で帰っていると、車の存在に気付かずそのまま轢かれてしまった。

気付けば病院にいた。病院にいたというより、病院で静かに横たわる自分の姿を眺めていた。ピクリとも動かない自分の横で家族が泣いている。私は死んでしまったのである。

そうか私は死んだのか、と思うと同時に、私はこの世にまだ魂だけが残っている状態であることに気付く。そう、私は成仏していないのだ。

成仏していないということは、この世に未練があるからということなのか。では何に未練を感じているのかと考えたところ、おそらくツレのことだと思った。

 

ツレと大喧嘩をし、なにも解決せぬまま私は轢かれて死んだのだから、ツレと和解出来ていないということに未練を感じているのだろう。私が成仏するためにはどうすればよいか。

恐らくツレに逢いに行き、私はこんな感じで突然死んじゃったけどあなたと出会えて幸せだったよ、とか感謝の言葉でも言っておこう。そうすればきっとそのまま静かに成仏出来るだろうと思った。

 

おばけになった私はそのまま病院から抜け出し、ツレの家へ向かった。だがこのまま歩いてツレの家へ行くのもどうかと思い、せっかく透明人間的な存在になれたのだから、少しは楽しもうと思い始めた。

まずはバスに乗る。もちろん無賃金だ。無賃金でバスに乗るなんて透明人間だからこそ出来ることである。そのままバスにゆられ、適当なところで降りる。

私が男だったら女風呂を覗くんだろうな、と思いながら銭湯屋さんを通り過ぎる。道中で好きだった果物屋さんに入り、大好きな果物を好きなだけ食い散らかす。もちろんみんなタダで。お腹いっぱいになると映画館に忍び込み、これまたタダで気になっている映画を飽きるまで観る。タダで好きなだけ飲み食いし、娯楽までもというこの状況がどれだけ楽しいものかを実感するのである。

死んだ目をしたサラリーマンなんかを見て、私にはもう未来の心配なんかしなくていいんだ、と安心する。目が死んだサラリーマンよりも全部死んでしまった私の方がよっぽど生き生きしてるんじゃないか、と思ってしまい、死んで良かったかもな、なーんて。

 

そんなことを考えていると、ようやくツレの家へたどり着いた。忘れかけていたが、私はさっさとツレと和解し、成仏しなくてはならない。

部屋へ忍び込むと、ツレは部屋で俯いて座っている。私はおばけとなってツレの前に姿を現した。

ツレは少し驚いたようだが、私は今まで起こったことを静かに告げた。

ツレはまた驚いたような悲しそうな顔をした。私は、大喧嘩をして家を出て行ってしまったけれど、あなたのことが好きよと言う。ツレも泣いて喜び、俺もだよと言った。

和解が出来た私は安堵し、もう会えないけどずっと見守ってるよ、と言って成仏する。

そして無事に天国へ行くのだが、なんとツレがいた。かなり驚く私。なんとツレは、私が家を飛び出した後にショックで自殺したと言う。つまり、部屋で俯いていたあのツレもおばけで、私と同じく未練があり、成仏できていなかったのだ。

そしてツレが、これからは天国で仲良く暮らそうね、と言い、私たちは笑い合って物語の幕が閉じるのである。

 

 

どうだろうこのどうでも良すぎる物語。この話をツレに話したが、勝手に仲良くやっとけよと一蹴されて終わった。当然の反応と言える。

こんなB級映画以下の物語をブログに書くのもどうかと思うが、私の脳内は実にしょうもない空想にまみれているので、一度はアウトプットしておこうかなと思ったまでである。