ちょっとしたホラーな体験の話

8月も終わりだというのに今年の私は夏らしいことを何一つしていない。

 

唯一の夏らしい事と言ってもLINEで花火と打って出てきた花火を眺め、電車の中から海を眺め、スーパーで買ってきた半額のスイカを食べて過ごすという有様である。

せめてホラー映画の一つでも観れば良いのだが、私はおばけがめちゃくちゃ苦手だ。

実際に見たことは無いがおばけの存在は信じているし、霊感というのは20代半ばで発症することもあるらしいので、むしろそろそろ心構えなければならないと思っている。

今のところ全く霊感の無い私だが、以前霊感の強い後輩と話す機会があった。

 

後輩との出会いはツレの部屋である。

一人暮らしをするツレの家へ行くとその後輩がいた。簡単に言うと私は彼とその日が初対面だったのだが、私とツレが所属する同じ部活の部員らしく、一応後輩にあたるので後輩と呼ぼう。

対面して早々、彼に霊感があることを知った。

以前ツレが部屋で寝ていると突然金縛りにあい、ふとベットの横を見ると、女の人と子供が座っていたと話してきたことがあった。そしてその日後輩は、部屋に入って来るなり、この部屋には女の人と子供の霊がいると言ったという。しかもベットの横を指しながら。

これはもう、彼に霊感があると信じざるを得なかった。これ以外にも彼は、今までにたくさんの霊的体験をしてきたという。

そんな話をしていると、ツレが今からバイトへ行くと言い出した。

ちょっと待って欲しい。確かに私はツレがバイトへ行ってる間に晩御飯を作り、バイトから帰ってきたツレと一緒にご飯を食べるためにツレの家へ訪れたが、女の人と子供の霊がいると分かったこの部屋で一人で22時まで過ごすというのか。

私は非常に怖がりなので、とてもじゃないが一人で晩御飯は作れそうにないと訴えた。するとそれを聞いた後輩が、暇なのでツレのバイトが終わるまで一緒にいてくれると言うのである。

これは助かったと思い、とりあえず後輩と共に晩御飯を作ることにした。

ツレがバイトへ行き、私たちは晩御飯の準備のためにスーパーへ向かった。この日の晩御飯は、天津飯の上に麻婆茄子をかけたオリジナルメニュー「麻婆茄子天津飯」であった。

スーパーへ行く途中、私は後輩から霊について様々な話を聞いた。中でも一番怖かったのは逆拍手というものである。

ここには描きたくないくらい、本当に怖くて恐ろしい話だったので、知らない人は是非調べて欲しいが全て自己責任でお願いしたい。触らぬ神に祟りなし程度でめちゃくちゃ簡単に説明すると、「逆のものはあの世(霊)のもの」という意味である。

 

そんなこんなでスーパーで食材を買い、女の人と子供の霊がいるというツレの家へ戻ってきた。だが横には後輩がいるので、とりあえず安心である。

早速、麻婆茄子天津飯を作り始めた。しかし私は料理があまり得意でない。先に難しそうな麻婆茄子から作ることにした。

麻婆茄子を作っている最中に米を炊いていない事に気付き、慌てて米を炊く。そうこうしている間に意外にも麻婆茄子は出来上がった。

とりあえず出来た麻婆茄子を皿に盛り付けた。次に天津飯の卵の部分を作り、上にかける天津飯のタレも一緒に作り始めた。卵は焼くだけだったのですぐに出来上がったが、新しく皿を出すのが面倒になり、麻婆茄子の上に卵を乗せた。

そしてこのタイミングで米が炊か上がったので、何のためらいもなく卵の上に乗せる。最後にタレが完成したのでタレをかけた。

ようやく完成した麻婆茄子天津飯を見てハッとした。上からタレ、ご飯、卵、麻婆茄子という順番に盛られたこの料理は麻婆茄子天津飯ではなく、逆麻婆茄子天津飯だったのである。

 

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本来は米の上に卵を乗せてタレをかけ、最後に麻婆茄子を乗せるはずだったのである。しかし逆拍手の話をしてから、この後輩が来てから、この部屋で使った料理が逆の状態で出来上がるなんて、とてもじゃないが偶然とは思えない。それに気付いてしまった時、思わず叫び声をあげたのは言うまでもない。

 

後輩にも帰ってきたツレにも必死に事情を話したが、2人ともただ料理の順番を間違えただけじゃないかとまともに取り合ってもらえなかった。ひょっとするとこれもおばけのせいかもしれない。

 

未だにツレには信じてもらえず、友人に話しても馬鹿にされる始末だが、私は実際に体験した唯一のホラー話だと思って疑わない。

 

M-1に出場した話 その2

前回の続きになるが、M-1の予選に出場した時の話である。

 

当時の私は中学生で、テストを控えていた。

ネタが全く決まらず、ボケーーと過ごしているうちにテスト期間に入ってしまったのだ。

しかも、金曜日にテストが終わり、土曜日を挟んだ日曜日が本番という鬼的スケジュールが組まれていた。テスト期間が終わってから2日でネタを作って仕上げるなんて、プロでも間に合わない状況である。

しかしまだ中学生であるためテストを放置するわけにもいかず、とりあえずネタ作りは中断せざるを得なかった。本番にきっと間に合わないなぁ、どうしようかなぁと思っていたところ、意外なところから救世主が現れた。

父親である。国家公務員でかなり上の役職にもついている厳格で真面目な父親が、ネタ作りに困った可愛い娘を見かねて、代わりにネタを作ってくれたのだ。

確かに父親は昔から私を散々甘やかして育ててきたが、娘の代わりにネタを作ってあげる父親は吉本界を見渡しても流石にうちだけだろう。

しかも、こんな真面目な父親が作ったネタなのだから対して面白くないだろうと期待せずに読んだところ、結構面白いのである。あまり覚えていないが、ボケが勉強したくない的な主張をしてツッコミがツッコんでいくという学生らしい仕上がりになっていた。

ところどころつまらない箇所があったので、それを私が軽く手直しし、テストが終わった金曜日の夜にようやく完成した。父親が作ったネタにも関わらず、謎の達成感に満ちていた。

そして土曜日に友人がうちに来た。今から明日まで、泊まりがけでみっちりネタを覚えるのである。

ここで私と友人の親が、私の方が声が低く、友人は声が高いから、声の高い友人がボケた方が面白いんじゃないかとの指摘を受けた。声が低い私がボソっと喋ってボケるより、あっけらかんと話す友人がボケた方が面白いと思ったらしい。ボソっとツッコむのも面白くない気がしたが、話し合った結果、ボケとツッコミの担当を入れ替えることにした。

友人は頭が良く、私も演劇部に所属していたお陰で2人ともセリフの覚えは早かった。20回ほど合わせたところで、友人は明るくボケ、私がボソっとツッコむというバランスの悪い漫才が誕生した。

 

本番当日、我々は大阪にいた。確かHEP大阪とかだったと思う。会場へ行くと、私達と同じくアマチュア部門の出場者で溢れかえっていた。

舞台の裏で待っているとお笑い芸人のシャンプーハットが通りかかった。芸能人との思わぬ遭遇であったが、本番を控えているのでそれどころではない。セリフが飛ばないよう、何度も何度も頭の中で復唱した。

そしていよいよ、私らの出番になった。観客は何人かいて、その中に審査員が混じっているようである。コンビ名が呼ばれ、私達はステージ上のマイクに向かって走った。そして2日で仕上げた精一杯の漫才を披露したのである。

 

客の反応はそこそこ良く、思った以上にウケた感じがした。

ネタは、勉強したくないというボケにツッコミが勉強の楽しさを伝えていくという内容だったのだが、

ボケ「歴史とか将来使わんのに、なんで勉強せなあかんの」

ツッコミ「大阪城豊臣秀吉が作ったんやなとか分かったらお城巡りとか楽しいやん」

ボケ「大阪城作ったのは大工やで」

というしょうもないネタが謎にウケてしまい、私が焦ってツッコめなかったというトラブルが発生したが、それでも終始笑顔に包まれた漫才だったと思う。単に客が良い人達だったというだけかもしれないが、みんなが笑顔になれるお笑いって素晴らしいなと思いながら漫才を披露したのであった。

帰りの車では、思った以上に客の反応が良かったことで「結構手応えあったな」「これは予選いけたんちゃうか」と盛り上がった。ひょっとしたら、100分の1くらいの確率でお笑い芸人になれるかもしれない...と夢すら抱いた。

後日、予選を通過したコンビが発表されたが落選していた。当然の結果である。

しかし、少しでも私達に夢を見せてくれたこと、私達が喋ることで見知らぬ人達が笑ってくれることの嬉しさや楽しさを知った。M-1に出場しなければ知り得なかったことだ。

 

私達にM-1出場のきっかけをくれた杉浦太陽に感謝したいところであるが、彼も中学生の女の子がまさかあの一言で本当にM-1に出るなんて思ってもみないだろうし、何よりも私達本人が、M-1に出場したことを未だに一番驚いているのである。

M-1に出場した話

中学生の時、漫才で有名なあのM-1グランプリに出たことがあった。

M-1はお笑い芸人が出るものなのかと思っていたがそうではない。プロアマ問わず一般人の我々も出場できる、本当に日本で一番面白い人を決める大会なのである。

 

きっかけは些細なことだった。中学3年生のある日、近所のイオンに杉浦太陽がやってくるという噂を聞き、友人と観に行った。

その友人とはめちゃくちゃ仲が良いわけでもないが別に悪くもなく、ただ近所に芸能人が来ると聞きつけるとなぜかこの友人と芸能人を見物しに行っていたのだ。なので芸能人見物仲間だと言える。イオンに来る芸能人はだいたいお笑い芸人が多かったが、その日は珍しく俳優だったので、ウキウキしてイオンに向かった。

イオンに着くと、たくさんの買い物客に囲まれながら杉浦太陽トークをしていた。なるほど、今まで見てきた売れないお笑い芸人とは流石オーラが違う。遠くから見ても杉浦太陽と分かるくらいにはキラキラしている。

長々と話したトークの最後に、杉浦太陽と握手できるとの告知がされた。その日出版した杉浦太陽の本を購入すれば本にサインをして頂き、杉浦太陽と握手ができるらしい。

杉浦太陽がめちゃくちゃ好きかと言われればそうでもないし、じゃあちょっと好きかと言われれば別にそうでもなく、ただ単に存在を知っているよ程度であったが、あれだけキラキラしていれば近寄りたくなるものである。私と友人はそれぞれ杉浦太陽の本を買うことに決めた。

無事に本を購入し、杉浦太陽に握手してもらうための長蛇の列に並んでいた。その間に友人と、杉浦太陽に何て話しかけようか、と言う話になった。

いつも応援しています!とか、頑張って下さい!なんてのはわざわざ私なんかが言わなくても、杉浦太陽くらいになればもう散々みんなから言われているはずだ。私達みたいな地味な中学が量産型なセリフを吐いたところで、特に印象には残らないだろう。

せめてちょっとは覚えて欲しいよなぁと言うことになり、色々と話していると友人が「私達芸人目指してるんで、応援して下さいって言ったらどう?」と言ってきた。なるほど、応援していますではなく、むしろそっちが我々を応援せよと言えば多少は印象に残ってくれる気がしたので、それでいこうということになった。

杉浦太陽に刻々と近付き、いよいよ私達が握手をする番になった。友人が先に握手をしたのだが、言い出しっぺである友人はガチガチに緊張していて、何も言わずにそのまま握手をし終わった。せっかくのチャンスなのに何をしてやがるという気持ちになりつつ、私の番が来た。握手をしてもらい、横で待つ友人を指して言った。

「あの、私達お笑い芸人を目指してるんで、よければ応援して下さい!」

すると杉浦太陽は「おおそうなんか!M-1頑張ってな!!」と言った。

杉浦太陽にこのセリフを言わなくてはということで頭がいっぱいで、せっかくの杉浦太陽を前にして彼の顔をじっくり眺めなかったのが心残りだが、杉浦太陽に何かしら印象を残せたのでは、と非常に嬉しい気持ちになった。

握手をし終わり、「杉浦太陽やばかったな!!」「頑張ってなって言ってきてめっちゃ優しかったな!!!」と2人とも興奮していた。興奮しすぎて、なぜかそのまま「もうこれはM-1に出るしかない!!」「そうだわ、M-1に出よう!!」と言うことになり、そのままM-1にエントリーしてしまったのである。

昔の記憶なので曖昧なのだが、確かM-1にはプロ部門とアマチュア部門があり、一般人の我々はアマチュア部門へ出場しなくてはならなかった。エントリーを完了し、まずはコンビ名を決めることにした。決めた経緯は全く覚えていないのだが、コンビ名は「せせらぎ」になった。

次に、ツッコミ担当とボケ担当を決めた。私は性格的にもアホで、友人はしっかりしている性格だったので、そのまま私がボケで友人がツッコミを担当しようということになった。

さて、問題はネタである。確かにお笑い芸人の漫才を見に行ったり吉本新喜劇を見に行ったりと、昔からお笑いは好きであった。しかし、いざネタを作ろうとなると、フレーズの一つすら全く思い浮かばない。若手のお笑い芸人やつまらない芸人を見て、こいつら面白くないなぁと散々文句を言ってきたが、改めて彼らは凄かったしこのように苦労してきたんだろうなと実感した。

更に問題があった。中学生である私達は、定期テストを控えていたのである。

 

 

かなり長くなったので、続きは後半に書く。

アイツの話。

ゴキブリが嫌いだ。

というかコイツの名前自体がそもそも気持ち悪い。なぜ最初に見つけた発見者はこの容姿の見て、あえてゴとキとブとリの文字を組み合わせて名付けたのだろうか。高校の時、友人が「ゴキブリじゃなくてフェアリーって名前だったらまだ馴染めたのに。フェアリーホイホイ」と言っていたが全くその通りだと思う。

名前から否定してしまっている私だが、以前はわりとゴキブリは平気であった。

高校生くらいの時に家のトイレで気張っていると、足元にいたことがあった。しかもかなり大きい。こちらはウンコをブリブリ出そうとしていたのに足元でもゴキがブリしているなんて勘弁してくれよと思いながら、ケツを拭いてそのまま立ち上がり、水を流した。水を流した時だけビクっとしたが、それ以外は私が拭いたりズボンを上げたりトイレから出ても動かないような、比較的大人しいゴキブリだったと思う。とりあえず親を呼び、そいつはそのままトイレへ流されて行ったのだった。大人しいしそのままトイレへ流せるし、なかなか都合の良いゴキブリであった。

そいつの姿を最後に、家でゴキブリを見かけることはなくなった。

そのまま時は過ぎ、大学2年の夏終わりに近所のパン屋でバイトを始めた。店長も優しそうだし、客層もいいし、文句は一つもなかった。1年後の夏までは。

バイトを始めて1年経った夏、1人で仕事をしていた。うちのパン屋は小さいので、店員はバイト1人と店長1人であった。そして19時くらいから20時の間は店長が配達に出てしまうので、その時だけバイトが1人でパン屋を仕切っていたのである。

いつものように店長が配達へ行き、売り場の裏で1人せっせとパンを切ったり袋に詰めたりしていると、突然めちゃくちゃデカいゴキブリが現れた。それはもう今まで生きてきた中で一番大きく、ゴキブリの効果音であるカサカサというよりかはドスドス歩いていた。あまりの大きさに驚き、どうしようかとあたふたしていると、ゴキブリは売り場の方へ出て行ってしまった。

これはやばい、このタイミングで客でも来れば大問題だと慌てたのもつかの間、客が入ってきたのである。

本当にタイミングの悪い客だと思ったが悪いのはゴキブリだ。しかも客は、絶対ゴキブリとか無理やんみたいなか弱そうな若い女性である。ゴキブリは相変わらず店の中をドスドス歩いているし、このまま黙っているわけにもいかず、かと言って1人で退治も出来ず、仕方なくそのか弱そうな客にこの事実を伝えることにした。

「誠に残念ではございますが、この売り場にはめちゃくちゃデカいゴキブリが歩いています」という感じで伝えると、か弱い客はか弱い声で「えっ」と言った。やはり、この客にゴキブリは刺激が強過ぎたのかもしれない。

と思ったのもつかの間、客はドスドス歩いているゴキブリを見つけるなり、そこにあった箒を手に取ってササッとゴキブリを捕獲し、そのままドアを開けてゴキブリをゴルフボールのごとく遠くへ飛ばすと、何事もなく買い物を始めたのである。ゴキブリを処理していただいた事に加え、人は見かけで判断してはいけないと申し訳ない気持ちになった。

それからというもの、夏は毎日のようにゴキブリと格闘する日々だった。体感ではパン屋の店員というより、1人でゴキブリ退治する人と化してしまった気がした。

冷蔵庫を開けると扉の内側にいたり、壁をドスドス歩いていたかと思えばすぐ消えたり、すぐ消えてもまだいるのは確実なので殺虫剤をかけまくっていると違うところから2匹出没したりと、毎日毎日ゴキブリと戦っていた。しかも彼らは毎日そこら中に落ちてあるパン屑を食って暮らしているため、皆めちゃくちゃデカいのだ。普通の家の中にはまず居ない大きさをしている。良いモンを食って暮らすリッチなゴキブリが非常に多かったのである。

あとなぜか奴らが出没するのは、決まって店長が配達に行ってる時だ。誰にも頼ることも出来ず、1人で殺虫剤を振り回してゴキブリに立ち向かっていたが、逃すことも多かった。若い女は社会的に見ても弱い立場だと言われがちだが、ゴキブリもそんな風に思っていたのだろうか。

 

そんなこんなで1人でめちゃくちゃデカいゴキブリと戦わされた毎日を過ごしたおかげで、パン屋を辞める頃にはすっかりゴキブリがトラウマになってしまった。もし今用を足してる最中に足元にいようもんなら、驚きすぎてウンコをかけてしまうかもしれない。

ゴキブリに関しては本当に話が尽きないが、こんなヤツの話を永遠と語っても誰も得しないので、今後はあまり書かないようにしようと思う。

親友アナスタシアについて その2

私は彼女をアナスタシアと呼び、彼女は私のことをシンデレラと呼んでいる。

なぜ我々はそんなメルヘンなあだ名なのかという理由の始まりは、私が中学2年生の冬まで遡る。

 

中学2年の冬、親戚とディズニーランドに行った。

それまで全くディズニーに興味のなかった私だが、ミートミッキーにて、ミッキーマウスに握手をしてもらった瞬間、ディズニーという存在に恋に落ちたのである。

それから私はディズニーが大好きになり、松潤が好きな傍らミッキーも大好きになった。

毎日のようにディズニー映画を漁り毎日違う映画を観つつ、同じ映画を何度も繰り返し観る日々を過ごした。最近になってツレに「レミーの美味しいレストランめっちゃ面白いよね!俺大好きやねん!」といわれ、「あれ5回くらいしか観てないけど確かに面白かった気がする」と言ったら「いや俺より観とるやんけ..」と言われたが、私はディズニー映画1本を10回は繰り返して観るような人間なので、5回では少ないのである。

ちなみにだが、ディズニーランドの着ぐるみが〜とか言う人は非常に耳障りなのでやめてほしい。思っているだけなら別に良いがわざわざ口に出さなくてもよい。それはあなたの視点では着ぐるみかもしれないが、私からすればミッキーは着ぐるみではなく立派なキャラクターだからである。

当たり前だが、ミッキーは日本はもちろん、世界に1匹しかいない。私という人間が世界で1人しかいないのと同じ原理だ。

じゃあミッキーはアメリカと日本のディズニーランドをどう行き来しているかというと、地下にエレベーターがあるので、それに乗って数分でアメリカへ行ったり日本に来たりしているのだ。地球が丸いのは、ミッキーが移動できる最適な設計をしているまでである。ちなみに中国やフランスのディズニーランドにはどうやって行っているのかについては、今のところ考え中である。

私のディズニーに対する価値観はさておき、私はいつラプンツェルになるんだろうかと思うくらいにはディズニーが好きだ。バッドエンドな映画を好む私だが、ディズニーに関しては唯一夢を見させてくれる非現実的な世界なのである。

私がディズニーを愛してやまないのは、学校の友人だけでなく、先生もみんな知っていた。私が休み時間では飽き足らず、授業中もずっとディズニーディズニーと言い、持ち物もディズニーに溢れ、プレゼンでは必ずディズニーを引っ張り出してきたからである。

うちの学校では専用の靴を履かねばならず、学校で買うことが出来た。私は履いていた上靴がボロくなったので、学校の受付的なところで買うことにした。

無事に新しい靴を購入し、新品な上靴にウキウキしながら廊下を歩いていると、仲の良い先生とすれ違った。先生に挨拶をすると、先生は「お、私さん、シンデレラやなぁ!」と言ってきた。

私は新しい靴を片手に歩いていたので、恐らく先生は靴というワードだけでシンデレラと言ったのだろう。私がディズニー好きだということも知った上でのシンデレラ発言だと思われる。

しかし、それを聞いた私はこう思った。「あ、私、シンデレラなんだ。」

私はずっとラプンツェルの卵だと思っていたけれどシンデレラだったのか、そうなのかそうなのかと1人納得し、そのまま教室までスキップしながら帰った。教室に入ると、少しだけ仲の良い友人がいたので、私はその子にこう言った。

 

「私は今日からシンデレラなんだって!だからあなたは今日からアナスタシアね!!」

友人は言った。「え〜何それ。いいよ〜」

 

 

これがアナスタシア誕生の瞬間である。

そもそもアナスタシアとは、シンデレラの義姉で、シンデレラのことをいじめまくっているダンゴ鼻をした女である。歌も下手で意地っ張りで顔も対して可愛くなく、シンデレラとは比べ様もないほどの風貌と人間性であるが、その友人は知ってか知らずか、アナスタシアになるわよと言ってくれたのだ。映画のアナスタシアとは違い心の広い奴だ。

そんなこんなで、その日から私はシンデレラと呼ばれ、私は彼女をアナスタシアと呼んだ。周りからはかなり不審がられたが、次第に周りも、私の前では彼女をアナスタシアとか呼ぶようになった。

その日から私達は確実に仲良くなったように思う。今となっては毎日LINEならぬカカオでトークしたり、電話したり頻繁に会っている。お互いの親もアナスタシアとシンデレラと呼んでいるし、親公認の仲である。

最近は、しんちゃんとかあなちゃんとか略して呼んだりするが、基本はお互いのことを「あなた」と言っている。あなたさ〜とか言うのだ。女子大生が友人のことをあなた呼ばわりするのは、見渡す限り我々しかいないように思う。

 

そんなこんなで、長くなったわりにアナスタシアの由来については少しであるが、説明できたことを喜ばしく思う。

ところで私はこの見た目と生活感から、まだ魔法にかかっていないと思われる。舞踏会にて王子さまに一目惚れされ、声をかけられてそのまま12時の鐘が鳴るまで2人きりでダンスをする日はいつであろうかと胸を踊らせている毎日である。

不審者に遭遇した話

私は5歳くらいまで大阪の団地に住んでいた。父の社宅であった。5歳までの記憶ということであまり覚えていないが、部屋は2つほどしかなく、トイレと台所と風呂場が1つずつある小さな一室であった。狭い和室には3月になればヒナ人形が飾られたが、私はお内裏さまの顔がとても怖く、彼の顔を見ては号泣していたので、親が不憫に思ってお内裏さまだけを反対に向けて置いていた。全くかわいそうなお内裏さまである。

また、和室の先には小さなベランダがあったのだが、私がおねしょをしたりヘマをやらかしたりすると、そのベランダに閉め出され、その度に大声で泣いていた。かなり近所迷惑であったと思うが、3歳の私にとってベランダはめちゃくちゃ怖かったものである。と言っても部屋は101号室で1階であったため、別に高いわけでもないし怖い要素はどこにもなかったわけだが。

団地に私の泣き声が響き渡る以外は、非常に静かで平和であった。閑静な住宅街とはこのことを申すのだと思った。

しかしある日、この閑静な住宅街に変なおじさんが出たという噂が立った。噂が立ったわりに、どのように変なのか全く分からなかったが、気をつけようと思った。

数日経って、団地のすぐ下にある水場みたいなところで、1つか2つ上の友人と遊んでいた。何をしていたかは覚えていないが、ままごととかそんなんだったと思う。友達と何事もなくままごとをしていると、突然、どこからともなくおじさんがやってきた。

おじさんは地味な服を着ていて、顔も覚えているような覚えていないような、特に印象に残らない顔をしていた。おじさんは「何してるの??」と聞いてきた。突然現れたおじさんにかなり警戒心を抱いた私であったが、2つ上の友人は何とも思わなかったらしく、「ままごとだよ」と普通に言った。

するとヤツは「おじさんも一緒に入っていい?」と言ってきた。更には2つ上も「いいよ!」と何の問題もなく承諾したのだ。

こいつめ、私より2つ上のくせに、全く危機感がなさすぎる。若干3歳の私の方がよっぽどちゃんと警戒心を持ってるし、このおじさんに対してもうちょっと疑ってもいいだろうが、と思った。しかし、下っ端の私にそんな発言力はなく、仕方なくヤツも交ぜてやった。するとヤツは、作業をする友人の後ろに座り、私と向かい合わせになるような形でしゃがみこんだ。

 

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ヤツは私の前にしゃがみこんで、こう言った。

「変なおじさんが出た話、知ってる?」

3歳児の私は「??」という気持ちと「まさか...」という気持ちが入り混じった。するとヤツは「実はな、それおじさんのことやねん」と言い、ウンコ座りした自分の股間部分を指した。

指の指す方を反射的に見てしまったが、ズボンが綺麗に丸形に切られ、本体は出ていなかったもののパンツが丸見え状態になっていた。

私は思わず「うわあ!」と叫んだ。するとヤツはニヤっとして、何も言わずにそのまま立ち去った。

ヤツはそのまま向かいの公園で遊んでいる子供達の姿をじっと見ていた。何をするのかと観察していたのだが、親がいたからであろうか、そのまま歩き出してどこかへ消えて行った。

私がこんなやばい状況に遭遇している最中、友人は作業に夢中でしかも危機管理能力がないので、ヤツには全く気づいていなかった。途中で帰ったことすら気付いていなかったと思う。

パンツだったから良かったが、もし本体が出ていたら私は男の人に対してトラウマになっていたかもしれないし、あわよくば襲われていてもおかしくなかったと言える。不幸中の幸いというか、恐ろしいような、不思議な体験をした気分であった。

親友、アナスタシアについて

アナスタシアとは、高校1年生の時に出会った。

私の行っていた学校は中高一貫校であるため、ほとんどの学生がそのままなんの苦労もなく高校へ進学できる。稀に、この学校はもう勘弁だと思った5人くらいが中学卒業とともに学校を出て行き、6人くらいが高校から新しく入ってくるのだが、アナスタシアはその新しく入学した6人の内の1人であった。

初めて見たときの彼女は、正直パッとせず、背は高いが三つ編みでメガネで暗い印象であった。6人の中で一際地味なこの子とは、一生仲良く出来ないだろうなと思っていたのである。

アナスタシアとは全く絡まない日々を送り、高校2年生になった私は塾へ通い始めた。この時、同じ塾に通っていた、ちびまる子ちゃんのミギワさんみたいな顔の友人がいた。ミギワさんみたいな子とは高校も同じであったが、塾がきっかけで仲良くなるようになった。

そんなある日、ミギワさんがアナスタシアを連れて塾へやってきた。どうやらアナスタシアも今日から塾へ通うらしい。

よりによってアナスタシアか、なんて思ってしまったが、これから3人で一緒に過ごすことになるかも知れない。アナスタシアと打ち解ける気がしなかったが、表面上は仲良くしておこうと思った。

月日が流れ、意外にも厄介な存在になってきたのがミギワさんである。ミギワさんは、表面上の付き合いであればそうでもないのだが、深く関わればひとたび面倒くさい性格であることを知った。ミギワさんは、理系でもないのに理系ぶり、私より勉強はできないのに、こんなのも分からないのかと上から目線で私に嫌味ばかり言ってくるようになったのだ。

また私達が通っていた塾の先生は、みな大学生で年も近かった。なので、かっこいい大学生のお兄さん的存在な先生がわんさかいたのである。女子校に通っていた私は、若い男の人と関わるのが非常に新鮮であった。

ミギワさんも同じだったらしく、たくさんのお気に入りの先生がいた。しかし、私がミギワさんのお気に入りの先生と話そうもんなら、彼女から嫉妬の目が向けられた。その嫉妬の目に気付かないわけもなく、2人の間には、だんだんと不穏な空気が漂うようになっていった。

しかも、私は匂いフェチなのだが、ミギワさんはなぜか口臭がキツく、あまり一緒にはいたくなかった。それは私以外の友人達も口を揃えて、ミギワさんの口はクサイと言っていた。ミギワさんと話す際、無意識に嫌な顔をしてしまっていて、更に関係が悪くなっていった事も考えられる。

更に言うと、私は重度の潔癖症である。彼女はよく、自分の鼻をつまむ癖があった。それだけなら別に良いのだが、その鼻をつまんだ手で色んな物を触るのだから、私は嫌で嫌で仕方なかった。

ある日、私は英検2級を受け、無事合格することが出来た。あまりの嬉しさに、その点数が書かれた紙と合格通知を持ってウキウキしながら塾へ行くと、あのミギワさんが待ち構えていた。そして彼女は自分の鼻をつまんだかと思うと、私が持っていた英検の書類をさっと奪い、まじまじと見始めたのである。

この時の私の気分は最悪であった。そもそもその書類等はお前に見せに来たのではない。お世話になっている塾の先生に1番に見てもらいたかったのだ。なのに、私の許可すら取らずに鼻をつまんだ指で私の書類を持ち、あーだこーだと言っているのである。

私の記念品はミギワの鼻の脂付きで返された。私の心の中は土砂降りの大雨であった。もはやハリケーンが来ていたかも知れない。

そんなこんなで、私はミギワのことが嫌いになり、アナスタシアと一緒に過ごすようになった。ミギワの被害は私にしか被っていなかったが、今までの一連の騒動をアナスタシアも見てきており、既に彼女は私の味方についてくれていた。

私がミギワにどんな嫌味を言われようと、いつ何時もアナスタシアは私の側にいて、静かな安心感があったのだ。いつの間にか彼女は、私にとって非常に心強い存在となっていたのである。

 

ところで、なぜアナスタシアは本名なのかと言うと当たり前だがそうではない。彼女は至って普通の名前である。

その辺の説明は、後日話そうと思う。